煮えたぎった何かが



 そんなにこの街が大事か。
 あまりの痛みと苦しみに、床に這いつくばっていたおれに対して、ザハークはそんなことを言ってきた。おれは答えようとしたが、蹴られた腹が鈍く痛み、ぐう、といううめき声しか出ない。ザハークはじれったそうな顔をして、おれの服をつかみ、おれを無理やり立たせると、部屋の隅にあったベッドにほうり捨てた。
 おれはベッドのやわらかさに一瞬だけ安堵した。大きく息を吐いて痛みを逃がす。ザハークはしばらくおれを見下ろしたあと、自分もベッドの上に座った。ベッドがきしみ、身体が上下にゆれる。
「……大事、だ」
 ゆっくり、ゆっくり発音した。腹に力を入れないように注意しながら。ザハークは表情を少しも変えなかった。おれは身体をひねって仰向けになり、ザハークを見上げた。
「あんたはどうして……ゴドウィンに……ついたんだ」
 そう聞くと、ザハークはおれをまっすぐに見下ろし、
「ファレナのために」
と、短く応えた。
 ファレナのため?あんたはファレナのために民をいくさへ狩り出し、同じファレナに住むものを苦しめ殺し、このおれを戯れに痛めつけるのか。そう思うとおれはなんとも皮肉な気持ちになり、薄く笑った。ザハークはおれの髪をつかみ、なにがおかしい、と言った。おれは痛みに顔をしかめる。

 いまだにおれは、この男の真意が分からない。
 初めはレルカーを護るつもりでこの男に近づいた。この男は一見冷静で、狡猾そうに見えたからだ。互いに得をするならば、誘いに乗ってくるだろう。そう思った。
 ザハークは実際に賢く、冷徹な男だった。そしてゴドウィンの駒だった。命令を淡々とこなす様は、なにかからくり仕掛けの機械のようにも見えた。
 しかしそれだけではなかったのだ。
 この男の奥深くには、憎悪のような、苛立ちのような、狂気のような、煮えたぎった何かが存在していて、おれはいつのまにかそれに触れてしまっていた。おれの部屋を訪ねてきたザハークは、兵が少ないとかなんとか言って、おれを責めた。もうすこし待ってくれというおれの言葉には聞く耳持たず、おれを床へ投げ飛ばし、腕を踏みつけた。その荒々しい動作がこの男のイメージとはかけ離れていて、おれは痛みよりも驚きが先行した。しかしザハークはそんなおれに満足せず、おれに覆いかぶさると、腕に爪を立て、食い込ませた。痛みにおれが声をあげて身をよじると、この男の表情にすっと冷静さが戻り、どうでもよさそうな顔で傷口から流れる血を舐めとった。
 そのときおれは、垣間見えたこの男の得体の知れない狂気に震え、心から怖れた。

 それからというもの、ザハークは気まぐれにおれを痛めつけたり、また逆にいつくしむふりをしたり、素っ気なくしたりした。傷は決まって服の下、見えないところに作られ、おれは口をつぐむことを言外に強要された。いったいこの男は何がしたいのか。おれはときに痛みに耐え、ときに精神的なダメージに耐えながら、それを考えていた。

 ザハークはおれの髪を掴んだまま、
「お前こそ、この街を護っているつもりかもしれないが、実際はどうだ。街のものたちはお前に不信を抱き、息子を無理やり連れて行かれた母親は嘆いている。もはや街の内部は分裂し、人々の間ではいさかいが絶えないではないか」
と、言った。
 それをあんたが言うか。
 おれは呆れた、しかし、同時に胸がひどく痛んだ。レルカーはもはや分裂している。おれひとりが何を考え、何をしようと、もうどうにもならないのではないか……。そう考えかけて、おれは、慌ててそれを頭から振り払った。弱気になってはだめだ。この男の狙いはそこにあるのだから。
「それでもおれは、レルカーを、おれなりに護る」
 おれはそういった。ザハークはおれの髪を放し、代わりにおれの両腕を押さえつけると、顔を寄せ、
「愚かな。」
と、冷たく言い放った。

おしまい

2006年3月12日 保田ゆきの






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