あやうく感電


 オロクさんがなにかを決意して、キッと顔を上げたときの、のどのラインと、ゆれる髪の毛と、そのあいだから見える白い首が、おれはたまらなくすきだった。まっすぐ前を見つめたまま「ついてこい、カイル」なんて言われたときにはもうたまらない。おれは「はい」なんて返事をする間も惜しいくらい、すぐにでも、オロクさんを抱きしめてしまえたらどんなにいいかといつも思う。ほんとうにいつもそう思ってるんだ。
 レルカーから船で帰る途中、オロクさんは船室のソファに座り込んで、
「まったく、疲れたな」
と、息を吐いた。そういってゆるく首を傾けたものだから、ぱらぱらと髪が落ち、ほんのすこし色気さえ感じた。労働の後のけだるい感じが、オロクさんを変に無防備にさせている。
 おれの視線はお構いなしに、お前も疲れたろう、とこの人は続けた。
「うーん、まあねー。でも、へっちゃら」
「なんだそれは」
 オロクさんは小さく笑った。ああ、笑った、と思いながら、どうしておれはこの人に惹かれるのだろう、と考えた。でも考えるだけ無駄なのだった。いつだって。おれはきっと、いままで、人を好きになろうと力を尽くしてきたのだ。女の子はみんなかわいい。そしてやさしい。だから、好きになろう、好きになれる、と何だか呪いにかかったようになってしまって、気づけばおれは女たらしのカイルだった。
 こんな、オロクさんみたいな、つんつんしていて、愛想なしで、かわいくもなければやさしくもない、へんちくりんな人を好きになるなんて、まったく、人間のつくりは分からない。でも、オロクさんが笑ったり、怒ったり、憂いたりすると、おれの心はふるえ、慄くのだった。この人が悲しそうに、目を伏せて、それでも、弱気になってはいけないと唇をかみ締め、わざと強がりを言ってみせるとき、おれはおれの持っているすべてをかけて、この人が好きで好きでたまらないという気持ちになるのだ。
 そこまで考えて、おれは、急に恋しい気持ちになってきた。なぜだかしんそこ切ないのだった。オロクさんの座るソファの前に立ち、あの、オロクさん、と遠慮がちに言う。
「ちょっとオロクさんのこと、抱きしめてもいい?」
「は?」
 オロクさんは目を丸くして眉根を寄せた。そしてふっといつもの、聞く耳もたんモードになって、呆れたように、そんなのその辺の女に頼んでくればいいだろう、と軽く言い放った。
 そんなんじゃだめだよー、と、おれは笑う。オロクさんはよく分かっていないようで、眉をひそめ、すこしだけ首をかしげた。
 そういうことを、するのがだめなんだって、この人、いつまでたっても分かんないんだろうなあ。
 おれはオロクさんの前に立ち、オロクさんをむりやり抱きしめた。オロクさんに触っている場所が、服越しに、びりびりと痺れる。ただオロクさんの頭をかかえ、髪に顔を埋めているだけだ。なにをどうしたわけでもない。それなのにおれっていうやつは、初恋さえ知らない坊やのように、ただその髪の匂いや、皮膚の温かさや感触に、いやというほど興奮していた。
 オロクさんは驚いて体を固くした。そのあと、文句か何かを言っているらしい、くぐもった声が聞こえてくる。おれは、その声の響きにすら、うっとりとした。
 とつぜんオロクさんが暴れだした。おれの服を掴み、力ずくでひっぺがそうとしてくる。おれがますます腕に力を込めると、オロクさんはおれの長い髪を掴んだ。
「痛、」
 おれはたまらず声を上げた。そして、いよいよ、オロクさんの本気で嫌がっている気持ちを感じ取り、我に返ったようにこの人を解放した。
 おれがすべて悪い。おれが愚かだった。
 それなのに、もうおれは、悲しくって、やりきれなくって、なんだか裏切られたような心地さえしていた。ほんとうに、愛しがいのない人だ、なんて、生意気にも思ってさえいた。
 それが顔に出ていたのだろうか。オロクさんはくしゃくしゃになった自分の服をととのえて、ふと、おれの顔を見て、目をぱちくりさせた。
「なんて顔してるんだ、」
 そう言いながら立ち上がり、おれに手を差し伸べてくる。まったくこの人ときたら、甘いったらない。いざとなったら、淋しい人や、悲しい人を、捨てきれないのだ。ついつい手を差し伸べてしまうたちなのだ。
 今だって悪いのは十割おれなのに、こうして、やさしくしてくれる。
「……ごめんなさい」
 おれはすなおに謝った。するとオロクさんは、ぷっと吹き出し、なんだ気色悪い、と笑った。そして、落ち込むおれに腕を回し、ほんの一瞬だけ、このおれを抱きしめてくれた。ほんの、ほんの一瞬だけ。
 その一瞬のうちに、おれは雷に打たれたように、びびっとしびれてしまい、思わず「わあ」と声を上げた。その声があまりに素直で、反射的なものだったので、おれは気恥ずかしくなって口を押さえた。
「お、お、オロクさん、お、おれ、」
「なんでそんなに慌てるんだ。まったく、」
 オロクさんは苦笑した。そしてまた、あの決意に満ちた表情をして、
「さあ、もうすぐ城に着くころだろう」
と言ったので、おれはもうどうしていいのか分からないくらい、狼狽し、どきどきした。
 なんなんだろうなあ、まったく。オロクさんと一緒にいると、感電死してしまうよ。
 おれはそわそわしながら、まだ電気が残っている体から、必死で放電を試みた。

おしまい

2006年3月16日 保田ゆきの















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