寝不足の色男


 もうじきソルファレナを奪還する。戦局がいよいよそこまでさしかかろうとしていたある夜、カイルがオロクの部屋を訪ねると、オロクは鬱々とした顔で矢の手入れをしていた。部屋は薄暗く、オロクの手元だけが小さなランプで照らされている。
 カイルは控えめにドアを閉め、そっとオロクに近づいた。オロクは顔を上げなかった。
「……精が出るねー」
 冗談めかしてそういうが、オロクの返事はない。カイルは小さく息を吐き、椅子に座った。オロクは黙々と矢が曲がっていないか調べている。息の詰まりそうな沈黙だった。

「ひまなのか」
 突然、オロクがそういった。カイルはやっとオロクが口をきいてくれたことに安堵しながら、
「ひまではないよー。夜だし。色男は忙しいです」
と肩をすくめる。
「ではさっさとその用を済ませてこい」
 オロクは矢を見つめたままそういった。カイルは悪戯っぽく首をかしげて、
「今夜はさあ、オロクさんといっしょに過ごす予定なんだよねー」
と笑った。
 きっと呆れるだろうとカイルは予想したが、意外にもオロクは笑ってみせた。さらに、最後の矢をそっと机に置き、それもいいかもな、とさえ言いだす。
「オロクさん、やけくそになってない?」
 心配になったカイルは、椅子から身を乗り出してそうたずねた。
「何を慌てているんだ。お前が言い出したことだろうが」
 オロクは笑いながらカイルの顔を見た。薄暗い部屋のなかで、張りつめた雰囲気のまま小さく微笑むオロクは美しくみえた。どこか神秘的でさえあった。
 カイルは何も言えなかった。息を呑んで、椅子に深く座りなおす。オロクは悠然と足を組み、深く息を吸い、ゆっくりとはいた。そして、
「次の戦いが最後だろうな」
と、つぶやいた。
「うん」
 カイルは素直に頷く。きっと最後だ。なんせ、敵の本拠地に乗りこむのだから。
「ようやく、ザハークに一矢を報いることができる」
 オロクはそう言い放った。どこかうっとりとした声だった。カイルは肌がぞくりと粟立つのを感じる。
「無理しちゃ、だめだよ」
「どうだかな」
「オロクさんは、まだ、レルカーを再建する仕事が残ってるじゃない」
「ワシールとヴォリガがいれば、どうにかなるだろう」
「オロクさん!」
 カイルは叫んだ。無意識に椅子から立ち上がっていた。
 オロクは驚いたように目を丸くして、カイルを見つめる。カイルも自分自身に驚いていた。顔が熱くなって、ひざが震えた。立ち尽くすカイルに対してオロクは、冗談だ、と小さく言った。
「すまなかった」
 申し訳なさそうにうつむく。カイルはとりあえず椅子に座り、こっちこそすいませんでした、と謝った。
「でも本当に、命を捨てるような真似は、やめてね」
「ああ……」
 易々とくれてやるわけにはいかない、とオロクはつぶやいた。
「必ず、奴の体にこの矢を射ち込んでやる」
 死ぬのはそれからだ……と、またしてもそんなことを言うので、カイルはもう一度、オロクさん、とたしなめた。



 その後二人は酒を一瓶あけ、たがいにうとうととしてきた。オロクは遠慮がちにあくびを噛み殺し、それにつられたカイルは大口を開けてあくびをした。
「眠い」
 オロクがぽつりと言う。
「じゃ、寝ましょうか」
 カイルはへらりと笑ってベッドを指差した。もちろんいつもの冗談のつもりだった。しかしオロクが何も言わずにふらふらとベッドに向かったので、カイルはぎょっとする。
「お、お、オロクさん、ちょっと、どうしちゃったの」
「寝る」
「あ、うん、そうだね。おれは部屋に帰るね」
 しどろもどろにそういって、カイルはドアへ向かった。今日のオロクには冗談が通じないようだ。むきになって反論してくるオロクが可愛くて好きなのだが。カイルがそう思いながらドアノブに手をかけたとき、
「行くな」
と、ぽつりと言われた。
 カイルはゆっくりと振り返る。空耳かもしれないという思いがまだあった。
 オロクはベッドの中で、枕に埋もれながら、カイル、と呼んだ。
 どうしよう、どうすればいい、いったいおれは!
 カイルは混乱した。あえてゆっくりとした動作でベッドに近づく。そうしながら頭の中ではずっと考えていた。オロクの意図するところ、そして自分の意思を。
 しかしなにも結論が出ないまま、カイルはベッドにたどり着いた。オロクは静かに横たわっている。
「……どうしたの、オロクさん」
 カイルは静かに言った。声が少し震えた。部屋は相変わらず薄暗く、オロクの表情もはっきり見えない。ランプが机の上を無意味に照らしている。
 オロクはゆっくりと仰向けになった。布が擦れる音がした。
「なぜだか知らんが、無性に、さみしい」
 さみしいんだよ、おれは……オロクの声は掠れて闇に消える。カイルは震える手を、そっとオロクの頬にのばした。
「じゃあおれが、添い寝してあげよっか?」
 こういうときでさえ、冗談めかして言わないと、こらえられない自分が嫌になる。カイルはそう思いながら、それでも精一杯オロクに向き合った。
「ああ」
 オロクは言った。
「頼む」




 添い寝はどこまでもただの添い寝だった。
 カイルは落胆と安心で胸をいっぱいにしながら、ぼんやりとオロクの寝息を聞いていた。当然だが眠れはしない。
 オロクは本当にさみしかったのかもしれない。カイルが横に並んで寝たとたん、すぐに眠り入ってしまった。相当酔いが回っていたのもあるだろう。
 一方のカイルは、酔いなんてとっくにさめてしまった。もっと我を忘れるくらいに酔っていればあるいは……とも考えたが、それは後から悔やみそうなので、これでよかったのだと自分を納得させる。
 それにしてもオロクが、さみしい、だなんて。まったくイメージとかけ離れたことを言う。
 カイルはオロクの体をそっと抱きしめた。それくらい許してくれるだろうと思いながら。オロクは低い声で呻き、少し身をよじって、また寝息を立て始める。
 カイルは苦笑して、色男に寝不足はつきものだ、と心の中でつぶやいた。


おしまい

2006年4月9日 保田ゆきの






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