まるまる



 まだオロクの体のあちこちにはあざや傷が残っていた。特に背中がひどかった。殴られた跡は赤みだけが引いて茶色くなっている。つめで引っ掻かれたのか何かで傷つけられたのかは分からないが、いくつかのみみず腫れとかさぶたもあった。きっとザハークはオロクを無理やりうつぶせに寝かせて、好きなように痛めつけたのだろう。そう思うとなんともおぞましかった。
「残っているか?」
 上着を脱いで背中をさらしたまま、オロクはベッドにうつぶせて言った。その背に向かってカイルは「かなり残ってる」と返した。
「すごい傷だね、痛かったでしょう」
「ああ……」
 オロクはどこか遠い目をしていた。傷つけられたときのことを思い出しているのだろうか。カイルは黙ってオロクの背に上着をかけた。オロクは起き上がってそれを羽織る。前を留めながら、
「もう終わったことだ」
と上の空で言った。
 まるで終わったことが寂しいとでも言いたそうな口ぶりだった。カイルはベッドの上で三角座りをする。オロクを傷つけるザハークはさぞかし恐ろしく、切羽詰った顔をしていただろう。ザハークに傷つけられるオロクはさぞかし痛ましく、色っぽかったろう。そんなことを考えると、自分の居場所の無さがやりきれなくて、カイルは小さく丸まった。
 自分の背中にオロクの手が触れるのを感じた。いつくしむ手。カイルの気持ちをなだめるようにやさしく上下している。この人はきっと何か勘違いしている、とカイルは思ったが、心地いいのでそのままにしておいた。オロクはしばらくカイルの背を撫ぜつづけた。
「オロクさん、あいつに殴られて気持ちよかった?」
「なっ」
 ぱっと手が離れた。ちらりとその顔をうかがうと、耳まで真っ赤にしている。カイルは余計に丸まりたくなった。だんごむしのように完全な球になれたらいいのにと思う。
「そんなわけないだろう、ばか」
「そう…?」
「痛いだけだ、あいつのは、」
 オロクはたどたどしく言った。その言い方からしてのろけ話のようだった。カイルは大きくため息をついた。
「おれもザハークのようにすっごいサドか、いっそオロクさんみたいにすっごいマゾだったらよかった」
「だれが!」
 ばしっと強く叩かれた。オロクの顔はいよいよ真っ赤だった。こうやってオロクののろけ話をどんどん引き出して傷ついている自分もある意味精神的マゾか?カイルはふとそう思った。しかしそれにしたってこの人たちのSMワールドには立ち入れない。カイルがオロクに出会う前に築かれてしまったのだから、それはもう仕方がないのだった。



 いっそ傷つけてみようか。
 ある時、ふいにそんな考えが浮かんだ。痛みをこらえて涙ぐむオロクが見たい。苦悶する表情が見たい、搾り出す声が聞きたい。
 想像ならいくらでも出来た。こんな風だろう、と思い浮かべるとといくらか興奮もした。でも本物が見たい、現実がいい。カイルは少しずつ思いつめていた。
 自然な様子でオロクの部屋へ行き、普段どおりに振る舞う。オロクは何も知らずに笑っていた。そしてその背が自分の方に向けられたとき、カイルはすっと手を伸ばした。

 まず突き飛ばす、すかさず押さえつける、そして後ろから無理やり、……

 鳥肌が立つほど興奮した。唇をきゅっと結ぶ。そしてカイルの手が、オロクの背に触れた。
「あっ、」
 思わず声を上げたのはカイルの方だった。オロクの背に触れた瞬間に急激に怖気づいた。だってオロクの背はあたたかかった、血の通っている体だった。この肺で息をして、この胃で食べ物を食べて、この心臓で生きている。その営みをこの骨と肉が守っている……。
 それを悟ったとたん、こんなにも真摯に生きている体を傷つけるなんてとても出来ない、と心底思い知った。
「……どうした?」
 オロクは背を叩かれたと思ったのか、そういって振り返った。カイルはべそをかきながら、ごめんなさい、と謝った。
「なに泣いてるんだお前……」
「ごめんなさい、ほんとうにごめんねえ、オロクさん」
 あんまりにもカイルがべそべそしているので、オロクは困ったように笑い、手のひらで涙を拭ってくれた。こういうときだけ年上ぶりやがって。カイルはそう思いながらもやはりうれしかった。
「よしよし、だいじょうぶだ」
 オロクがやさしい声でそんなことまで言い始めたので、何だこの人、おれのこと、赤ん坊みたいに思ってるんじゃないか、と皮肉に思った。けれどやっぱり、やっぱりうれしい。
 これがおれなりの精神的マゾ……再びそう認識したカイルは、思い切り鼻をすすり上げて丸まった。

おしまい


2006年8月5日 保田ゆきの






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