カイルは今日も戦に向かった。
 昨日の正午から始まったこの戦いは、丸一日たった今でもなお、形勢は五分五分のままだった。ルクレティアの策は、”今は機を待て”。こちらはうかつに手を出せず、そして向こうも慎重に攻めてくる。膠着状態はしばらく続いた。
 このままではこちらが先に消耗する……そう判断したルクレティアは、奇襲決行を決めた。少数の弓兵で敵本陣を襲撃し、混乱に乗じて休む間もなく伏兵と突撃兵を出す。形勢を一気にひっくり返す、短期集中の策だった。
 奇襲を行う弓兵部隊は、レルカー隊が自ら志願した。そしてルクレティアもそれを認め、早々に準備が始まった。
 それを知ったカイルは心底驚き、すぐにレルカー隊の元へ走った。
「なにもおっちゃんたちがやらなくたって、」
「いいえ、わたしたちがやるべきなんですよ」
 ワシールは穏やかにこたえた。ヴォリガも相槌を打ち、
「王子殿下にはでっかい借りがある。こういうときに恩返しせにゃならねえ」
と、笑った。この二人には何を言っても無駄のようである。
「オロクさん……」
 カイルは二人から離れたところで弓の手入れをしているオロクに声をかけた。
 オロクは少しだけ肩を竦めて、カイルを見た。
「こいつらはきれいごとを言ってやがるけどな、おれはゴドウィンにこの手で一矢報いたいだけだ」
「危なすぎるよ、だって、一部隊だけで本陣を攻めるんだよ」
「ふん、言われなくとも分かっている」
 オロクは皮肉っぽく笑った。そして矢を一本とり、カイルに向ける。
「お前はなぜ戦っているんだ」
 そう、冷たい目で問うのだった。カイルは戸惑いながら口を開く。
「おれは王家を、王子やサイアリーズ様を守って、姫様を助けたいから……、」
「たいそううつくしいことだな」
 辛辣な言葉だった。カイルは面食らう。少しはなれたところで、ワシールとヴォリガも興味深そうに二人のやり取りを見つめていた。
 オロクはカイルに向けた矢を下ろし、束に戻した。カイルは絶句して立ち尽くしている。
「誰かのためなら、人を傷つけていいと思ってないか」
 追い討ちをかける様にオロクは言った。カイルは何も言えない。そんなことないと叫びたい気持ちはあった。しかし言葉にならない。その理由はカイル自身がよく分かっていた。
 オロクは立ち上がり、おれも同じさ、とつぶやいてその場を去った。
 カイルはその背に、
「気をつけて」
と言うだけで精一杯だった。






 奇襲は決行された。
 夜の闇に乗じてレルカー隊が本陣に近づき、少し離れて伏兵は待機する。手はずとして、レルカー隊は矢筒が空になるまで矢を射て、すぐに撤退する。それを追撃しようとする敵部隊を、控えていた伏兵で抑える。その隙に残りの部隊で本陣を叩く。
 決まれば鮮やかだが、どこかで間違うと一気に負ける。そんな博打のような戦いだった。おそらく保険はあるだろうが、ルクレティアはそれが必要になるまで誰にも漏らさないだろう。
 カイルは伏兵部隊のひとつとして控えていた。レルカー隊はもうじき本陣に接触するだろう。そう思うと緊張で吐き気がした。もう彼の生きた姿は見られないかもしれない。そんな覚悟さえしていた。

 わっ、と歓声が上がった。
 奇襲に対する反撃が始まったのだ。これを抑えるのがカイルたち伏兵部隊の役目である。
 カイルは身構えた。来る。剣を抜き、先頭に立って駆け出した。レルカー隊は上手く撤退できただろうか。少しだけそう考え、後は無心で剣を振るった。
 もはや王家だのなんだのという気持ちは消えうせていた。剣を振るうときは、目の前の「敵」をいかにして上手く斬るか、それしか考えていない。
 腐った殺人マシーンだ。しかしそれを自覚できるのは、いつだって散々に人を傷つけた後なのだった。


 ゴドウィンの兵は呆気なく撤退した。奇襲が成功したのもあるし、この戦いをあまり重要視していないのもあるだろう。
 カイルは本拠地に戻るとすぐさま医務室に向かった。オロクが怪我をしたと聞いたからである。しかしそこにはオロクはいなかった、かわりに傷ついた兵たちがベッドを占領し、それでも足らず床にも簡易ベッドが置かれていた。
 シルヴァは冷たい声で、
「死人は出ていない。だがこれは、とても情のある人間が立てた策とは思えないな」
と言い放った。確かに怪我をしているのはレルカー隊の兵ばかりである。カイルはシルヴァに頭を下げ、医務室から出た。
 すると医務室の前に、ワシールとヴォリガが立っていた。カイルの肩を叩き、
「おつかれさん」
とヴォリガは薄く笑う。
「おっさん、……」
 カイルはすばやく二人の全身を見た。大きな怪我はなさそうだった。
「オロクさんは…?」
「彼は部屋で寝ていますよ」
 ワシールが穏やかに言う。
「すこし、参っているようです」
「参るって、そんなにひどい怪我を?」
「違えよ、馬鹿。たいしたことねえかすり傷だ。だが、まあ、な。あいつは若すぎるんだ。ごちゃごちゃしたもん、頭に溜め込んでやがる」
 ヴォリガは腕を組み、ため息をついた。
「行ってあげてください。君ならきっと、彼に共感してあげられる」
 ワシールの言葉を受け、カイルは足早にオロクの部屋へ向かった。ヴォリガとワシールは達観とあきらめが混ざったような顔で、心配そうにそれを見送った。

 ろくにノックもせず入った。焦っているときのカイルにはそういう所がある。
「オロクさん」
 ベッドに歩み寄り、声をかけた。オロクは行儀よくあおむけになり、きれいに寝ていた。その目がすっと開く。カイルは勢い込んで話しかけた。
「だいじょうぶ、オロクさん。怪我をしたって聞いたんだけど……」
「……問題ない」
 オロクは布団から左腕を出した。肩から肘にかけて包帯が巻かれている。なるほどたいした怪我ではない。カイルは安堵した。
「よかったね、たいした怪我じゃなくて」
「そうか?」
 オロクはカイルを見つめ、自嘲的に笑う。
「本当にこれでよかったのか?なあカイル。おれは本当は死にたかったんだよ」
 二人以外誰もいない部屋は静まり返っている。カイルは息を呑んだ。心臓の音さえ響きそうな沈黙である。
「おれは耐えきれん。おれは、おれは」
 オロクは突然顔を崩し、泣き出してしまった。普段は仏頂面で、愛想のない男だ。必要以上に論理的で冷静、感情さえかみ殺す所もある。それなのに今、彼は自分の右腕につっぷして泣きじゃくっている。
 オロクが突然見せた子どものような面に、カイルは驚愕してどうしていいか分からなかった。
「なにかあったの」
と聞くだけで精一杯だった。
 オロクは散々泣きわめいたあと、
「おれが徴兵したやつらだったんだよ」
と言った。
「おれが矢を射たのは、おれが徴兵したやつらだった。お、おれは、おれのせいで兵役に出た人間を、この手で……」
 そこまで言うとまた感情が高ぶり、嗚咽を漏らす。
 だがカイルにもようやく事情がつかめた。カイルがオロクと出会ったころ、オロクはレルカーの若者を徴兵し、ザハークに手引きしていた。ワシールが言うには、彼はザハークとレルカーの間に入り、結果的にレルカーを守ったらしい、しかし実際に徴兵したのは、手を汚したのは、オロク自身である。
 レルカーが王子によって解放され、事実上こちらの軍勢に加わったときも、徴兵されたものたちは帰ってこれなかった。すでにゴドウィン軍に組み込まれた彼らは、そこから抜けることなどかなわない。いつか王子の軍勢がゴドウィンを解体し、兵が開放されるときまで兵役につきながらじっと待っている。
「オロクさん……」
 オロクの胸中を占めるのは、途方もない無力感と、罪悪感だ。死にたかったんだよ、と搾り出された彼の言葉は間違いなく本音だろう。
 カイルは床に座り、ベッドに顔を埋めた。オロクの嗚咽を聞きながら、言う。
「おれだって、ねえ、オロクさん、結局人を傷つけることが大好きな愚か者だったよ」
 剣にこびりつく相手の血をぬぐいながら、ああうっとうしい血め、と舌打ちする自分がいる。
「この戦いが終わったらおれなんてどっかへ行っちゃった方がいいんだよ……」
 とても姫様たちに顔向けできないよ。カイルは自分でそういいながら、いよいよ本当にそう思えてきた。みな戦っている。みなが暴力をふるっている。それなのに、自分だけが汚れて感じる。世界が違うと思ってしまう。

 カイルはベッドに乗り上げると、まだ泣いているオロクを抱え上げ、むりやりに抱きしめた。オロクの背を壁へ押しつけ、追い詰めて乱暴に頭を抱える。震える肩を押さえつける。
「もう泣くなよ、オロクさん」
 きつい調子で言って、首にかぶりつくと、涙交じりの声が上がる。少し熱っぽい。傷を受けたことで、発熱しているのかもしれない。しかし構わなかった。そんなこと知るか。カイルはひどく乱暴な心地だった。
「もういい、どうせもう、仕方ないんだ、過ぎたことは、やってしまったことは、今からどんなに悩んだってもうどうしようもないんだ!」
 カイルは叫んだ。オロクは泣きながら、それでもカイルを見た。怒りと恐れを自制しながら、それでもすがってくるような目だった。その目に、カイルは背筋を這い上がる感覚を覚え、目を細める。
「ねえ、オロクさんは知らないだろうけど、おれにやさしさなどないんだよ」
 そう言い放ち、まるですべて壊してしまいたいかのように、オロクを抱いた。すべてがおわったとき、あの、戦いの後のようなむなしさと苦しさが襲ってきて、カイルはそっと泣いた。


おしまい

2006年5月20日 保田ゆきの

なんかひどい話になりました……オロクにはショック療法というか、ガツンとやっていちど全部崩して、それからもういちど組み立てるぐらいやらないと、うわべだけじゃ心に響かないと思う。
あとわたしのカイルのイメージは、けっこう屈折してるかも……すいません






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