ブラザー、アイラブユー



 カイル部隊は逃げていた。追い討ちから必死に逃れようともがいていた。深追いしすぎたことを後悔しても遅い。彼の部隊が敵陣に突っ込みすぎた代償は、とても大きかった。
 それでもどうにか騎馬隊から逃げ延びたカイルは、つかの間、息をつく。と同時に、弓兵が背後から一斉に矢を放った。
「まずい、走れ!」
 カイルは叫んだ。陣形など気にせず、全員が散り散りになって逃げる。上手く逃げたつもりだったが、肩と脚に矢を受けてしまった。甲冑があるから深手には至らなかったようだが、皮膚を破る痛みは、カイルの足を鈍らせた。
 仲間達も、どれだけの数が逃げ延びただろうか。カイルは足を引きずりながら茂みに身を隠し、犠牲になるならおれだけでいい、と考えた。そう思った途端、足が止まった。茂みの中に倒れこむ。
 連戦の疲れと傷の痛みは、カイルをひどく弱気にさせていた。
 水の紋章は先ほど別の部隊を回復するのに使ってしまった。もはや自分を癒すものも、守るものもない。敵に見つかるか味方に見つけてもらうか、このままくたばるか。いつのまにかそんな窮地に追い込まれていたのだった。

 いくらかの間、カイルは気を失っていた。
 不意に近づいてくる足音で我に返る。急に人恋しくなったカイルはたくさんの名前を心の中で呼んだ。
(王子、リオンちゃん、ゲオルグ殿、サイアリーズ様、オロクさん、ワシールのおっちゃん、ヴォリガのおっさん、誰か……誰か……)
 違うかな。違うだろうな。
 カイルは期待しながらそれを否定した。それでも心のどこかで、会いたいなあ、と思っていた。
「こんなところに……」
 降ってきたやさしい声は、ワシールのものだった。カイルは顔をひねり、ワシールの姿を無理やり見た。
「おっちゃあん……」
「カイル君、大丈夫ですか。ひどい怪我を……」
 どうやら肩と脚だけではないらしい。ワシールに言われたとたんに全身が痛み出した。
「オロク!こっちへ!ヴォリガも側にいるならきてくださーい」
 オロクはすぐに駆けてきた。ぼろぼろのカイルを見下ろし、どんな皮肉が飛び出すかと思うと、意外に彼の様子は神妙だった。カイルの手を強く握り、
「ドジ踏んだな」
と静かに言うだけだった。
 ヴォリガは来ない。おそらく、他の兵を集めているのだろう。ワシールとオロクは二人でカイルを担いだ。
「何が重いって、この鎧が重いんだよ……」
「まあ、それが結果的に彼の命を守ったのですから」
 そんな雑談をしながらのんびり戦場を後にする。カイルは、おれは死なないんだ、と強く思った。おれは、助けられたのだ……


 傷の手当てをしてもらった後の看病は、なぜかオロクがしてくれた。カイルがわけを聞くと、「おれは死にかけた人間には優しいんだよ」と返ってきた。なるほど、一度は死にかけてみるものだ、とカイルは面白おかしく思った。
「なんか、少しだけ疲れたかな……」
「もうギブアップか?」
「ううん、そこまでいかないんだ、その手前っていうか、なんだか……疲れたなあって」
 カイル自身にもよく分からない感覚だった。疲労感というよりは空虚感のような……。しかしオロクは取り合わなかった。どうでもよさそうに頭をかき、あくびまでしてのけた。
「馬鹿だな、お前。手をだせ、手を」
「手え?」
 カイルは言われるまま手をさし出す。オロクは両手の親指でカイルの手のひらをぐりぐりと揉み、伸ばしたあと、ぱあんと思いっきり叩いた。痛がるカイルの声を無視して、手のひらの色をじっと見詰める。それから笑い出した。
「大丈夫、大丈夫。お前の未来はな、お前の思う通りになるさ」
「それ、新しい手相占いか何か?」
「まあそんなところだ」
 オロクはおかしそうに笑っている。カイルには意味が分からないが、悪い気はしなかった。
「生き延びろよ」
 オロクはそういって、カイルの手のひらを改めて開き、自分の手を重ねた。こうして比べると、やはりカイルの手は武人のもので、オロクの手は政治家のものだった。互いに重ねてきた年輪が違う。オロクはカイルの手を、半ば強引にひっぱり、自分の頬に当てた。
「おまえのことは、まあ、出来の悪い、胸糞も悪い、おとうと、のように想っているからな」
 無駄死にはするなよ、レルカーの恥だ、照れくさそうに言い捨て、オロクはもう一度カイルの手を叩いた。そして、
「よし、寝ろ!」
といって布団をかぶせて灯りを落とした。
 カイルは、今何かを言ったらオロクは照れてこの部屋から出て行くだろうな、と分かっていたから、何も言わずに目を閉じた。そうすればずっとここにいてくれるのも、分かっていた。
 夜に響く涼やかな虫の声を聞きながら、生きている喜びと、おとうとという言葉を、しみじみとかみしめるカイルだった。

おしまい






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