おかげさまで


 どうせまた、ラニアとラハルのいたずらだろうと決め込んでいた。だから目の前の女に、「また入れ替わってんですか」と笑って言った。
「おれにゃあ通じないっすよ、ラニアさん。もっと、全然関係ない人をだまさなきゃ」
「……」
「まあいいや。ちょうどよかった。おれの笛、最近調子悪いんだけど、ついでだからちょっと見て帰ってください」
「リューグ……」
 女は部屋の真ん中に突っ立ったままだった。顔が蒼白である。発した声はひどく平坦だった。さすがのリューグでも、尋常ではない、と気づくほどであった。
「どうしたらいい、いったいどうなっているんだ」
 女の雰囲気に圧倒される。それと同時に、まさか、という思いが湧き起こる。ラハルの格好をした女がラニアでないとすれば、誰であるというのか。
「まさか、ラハルなのか?おまえ、ラハルなのか?」
 リューグの問いに、女は自嘲するように笑って、
「おれも、わけがわからないよ」
と言った。鈴の転がるようなうつくしい声であった。



 どう見てもラニアにしか見えないが、女が言うには、彼女はラハルらしい。
 と、すんなり納得できるはずがなかった。リューグはとりあえず、自称ラハルを部屋に残してラニアの元へ向かった。これで(もちろん男の)ラハルが居て、ばれたか、なんて言ってくれたら万事解決である。
「ラニアさん、いるか?」
 息を切らしてラニアの工房に入った。ラニアは机の上で笛をいじっていた。手元から目を離さず、
「何事?」
と言った。
 リューグの胸になんともいえない重いものが詰まる。それはきっと、落胆と恐れだ。いま自分の部屋にいる女に対する不穏な気持ちである。
「や、……なんでもないっす」
「ヘンな、音……」
 ラニアはリューグの顔を見てそう言った。リューグはたまらなくなって、工房から飛び出した。
 部屋に戻ると女はいなかった。いっぺんに背筋が寒くなる。慌てて城内を探した。あちこち走り回ったがどうしても見つからない。しばらく探した後に、ふと、フレイルもいないことに気がついた。
 慌ててランスをつれてきて、二人で城の外を探した。女とフレイルは案外すぐに見つかった。静かな川のほとりで、二人はそっと寄り添っていた。女の背中がたまらなくさみしかった。
 ああ、あれはラハルだ。
 リューグは確信した。観念した、ともいえた。
「……ラハル」
 後ろからそっと声をかけた。ラハルは素直に振りかえった。もともと細身の男であったから、きちんと装束を身につけて声を出さなければ、女だとは分からないだろう。
「なんだ、もう見つかったのか」
 だが喋ればやはり女である。
 リューグはため息をついてとなりに座った。
「心当たりとかないのか?そうなっちまった……」
「あればこんなところでぼんやりなどしないさ」
「そうだよなあ」
 二人の不安を察したのか、相棒たちがキュウ、と心細そうに鳴いた。
「お前たちは、なんにも心配することないぜ」
 リューグはとりあえずそう言ったが、ランスとフレイルはしばらく鳴きつづけた。



 団長には、ラハルは体調を崩したと伝えた。クレイグは情に厚い人格者だが、同時に規律を重んじる男でもある。ラハルがなぜかは分からないが女になった、と知れば、おそらく竜馬騎兵を続けることはできないだろう。
 ラハルがそれを一番恐れていることが、リューグには痛いほど分かっていた。
 そのまま状況が好転することもなく数日が過ぎた。
 夕食のあとリューグは自室に戻った。そして部屋の真ん中に、あの日と同じようにラハルが立っているのに気づいて驚く。
「驚かせんなよ、ラハル」
 まさかずっと部屋にいたのだろうか。リューグが思案していると、ラハルは唐突に言った。
「もう限界だ。これ以上はごまかせない」
「へっ?」
「おれは、団長に申し出ようと思う。正直に全て話して、それで、騎兵団を抜けようと思うんだ……」
「……そんな、」
「だがこのままでは、いつまでたっても同じだ!おれは、何もせずに隠れているだけの日々にはもう、耐えられない……」
「……」
 リューグも、この日が来るのを全く予想していなかったわけではない。いつかこうなるだろうと思っていた。だが、こうなるまえにラハルが元通りに戻れたら、と心底願っていたのである。
「だけど、どうするんだ、これから」
「そうだな。素直に、女として暮らすか……」
 ラハルはそういって自嘲する。
「女の体にももう慣れたよ。人間とはたくましい生き物だな。生きるためならなんにでも適応できる」
 そう言われて初めて、ラハルの体を意識した。急に気恥ずかしくなる。ラハルはそれに気づいたのか、あっけらかんと笑った。
「なんなら触ってみるか、リューグ。あちこちいらん脂肪だらけでやわらかいぞ」
「馬鹿いうな!」
「ふふ」
 悪戯っぽく笑うラハルの表情は、以前となんら変わりなかった。それがむしろ痛々しいのである。
「明日、言うつもりだ。だから今日はここで眠ってもいいか?」
 何故そうなるのか全く分からなかったが、リューグは、ああ、と答えていた。




 この無遠慮な幼馴染は、ほんとうに触らなくていいのか、と何度も何度も聞いてきた。そのたびに「いいかげんにしろ!」と一蹴する。だがラハルは引かなかった。
 あまりにしつこいので、リューグは灯りを消して布団をかぶった。もういい。眠ってしまおう。本当は、明日騎兵団をやめるかもしれない親友と、一晩語り明かしたい気持ちもあった。だがこれなら眠った方がましだ。
 ラハルは何も言わなかった。そのまま数分が経ち、リューグがうとうととしてきたとき、とつぜんラハルが背にぴとりとはりついた。いっぺんに目が覚める。慌てて身じろぐと、うでが伸びてきて抱きしめられた。
 背中じゅうがやわらかく、あたたかいものに包まれた心地になる。リューグはめまいがした。よせ、とむりやり引っぺがし布団に押し付ける。ラハルを押し倒すような格好になった。
 暗闇のなかで目を凝らす。
 ラハルの表情は良く見えないが、息遣いが震えていることは感じ取れた。
「なんで、……」
 リューグにはそれ以上何も言えなかった。そのままの体勢でしばらくじっとしていた。
「おれは……」
 ラハルの震えた声が聞こえる。
「あきらめられない。やっぱり、あきらめられない……」
「なんのことだ……」
「リューグ、おれを、幼馴染のラハルだと思わなくていい。どこぞの女だと思ってくれていいから、だから……」
 それ以上は言葉が出てこないようだった。だがラハルの匂わせる雰囲気で、何が言いたいのか察した。理由は見当もつかないが。
「……きっとおまえにゃ、そうする理由が、あるんだな」
 ラハルは答える代わりに、大きな目でリューグを見つめた。ぞくりとするほど色っぽい目だった。

 たくさん触ったし、たくさん触られた気がする。ラハルいわく”あちこちいらん脂肪だらけでやわらかい”体は、ふと気づけば細身で引き締まった彼本来の体に戻っていた。いつからそうなったのかは分からない。気づいたあとも、行為をやめようとは思わなかった。聞きなれた親友の掠れた声が、必死に自分の名を呼んでいる。
 終わったあとリューグは泣きたいような気持ちになった。許してくれよ、と小さく呟いた。




 翌朝、ラハルはフレイルとともにあちこちを走っていた。めちゃくちゃに走った。抑えきれない感情を浮上させないために、ひたすらに動き回っていた。

 汗だくで城に戻ると、いま起きてきたばかりらしいリューグとランスに出会った。突然のことに息が詰まって何も言えない。しかしリューグはいつもどおりの無頓着な声で、「おはようさん」と言った。
「よかったな、元に戻って」
 あっけらかんとそんなことを言う。ラハルは面食らった。そして感謝した。全てが壊れてしまうことを予想していたからである。
「ああ」
 そうなるといつもの悪戯心がわきあがる。わざとしなを作って、
「おかげさまで、な」
といってやった。リューグはとたんに顔を真っ赤にして、「お前なあ!」と叫んだ。
 それを見ているとなぜかラハルも照れた。とっさに身を翻し、またあとで、と言い残してその場を去る。
「ったく、」
と、こぼすリューグのとなりで、ランスは心底たのしそうに鳴き声を上げた。フレイルが遠くから、同じような声を返すのが聞こえた。


おわり

2007年5月27日 保田ゆきの








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