心の獣


 波にのまれるような心地だ。とても抗えない。息が持たなくて、呼吸が速くなる。溺れているのだ。おれは溺れている。やがて体中の力が抜け、沈んで、ブラックアウト。
 目を覚ますと、カイルの腕があった。おれは無防備に抱きしめられたまま眠っていたらしい。心地よいのでそのままにしてもう一度目をとじる。カイルの寝息は穏やかだ。これが幸福かと思う。そっとカイルの体に触れた。静かに上下する胸が愛しかった。
 目がとろんとしてくる。と、不意にカイルが、「オロクさん起きてる?」と声をかけてきた。「ああ」と答えると、首筋に唇を押し当てられた。くすぐったかった。舌がそっと首を這う。「よせ」と身をよじると、「もいっかいしたい」と言われた。おれはしばらく答えなかった。その間もカイルは好き放題におれにちょっかいをだした。艶っぽい声で「耳、赤いよ」と言われる。思わずカイルの胸に突っ伏した。
 おれの方がよっぽど執着している、と思う瞬間がある。カイルが女の話をしたり、王子やら何やらの話をしているときだ。カイルはそんなおれをすぐに見破る。笑って、「したそうな顔してるー」と言って笑うのだった。おれは怒るが否定はしない。実際にしたいのだ。おろかだとは思うけれど。
 時々ザハークを思い出す。恐ろしい男だった。大いなる恐怖を与え、それをいつのまにか快楽にすりかえるのが上手な奴だった。喉を痛めるほど、泣いて、喚いて、声を上げた気がする。そんなことを思い出しているのがカイルにばれると、ひどい目に合わされた。もともと無茶はしない男なのに、そのときばかりはおれを力で屈服させ、おれが泣くまでやめない。恐ろしい男だ。ザハークと同じくらいに。
 なぜこんなことをしているのだろう。と、何度も何度も考えてきた。ザハークにしろ、カイルにしろ、おれには理解しがたい人間である。強さと、賢さと、社会的な立場すべてを兼ね備えているのに、なにが楽しくておれなんかに構うのだろう。おれなんて虫けらだ。人の弱みにつけこむ人でなしだよ。得とか、損とか、そういうことでしか動かない雑魚だ。そんなちっぽけなものを力ずくで蹂躙して、なにが楽しいのか。おれには理解できない。
「もっと自分を大切にしなよ」
といわれたときには閉口した。粗末に扱っているのは誰だ。しかしカイルは構うことなく、おれの手を取り、唇を押し当てて、「危なっかしくてほっとけないんだよ」と言った。「ザハークもそうだったんじゃない?」とつけたした。その名を聞くのが久しぶりで、少しだけ目を見開くと、「あっ、ザハークのことを考えるのは禁止」と牽制される。お前が話題にしたんだろう。おれの言葉は無視された。
「オロクさんが自分のこと大事にしないから、オロクさんってこんなにもすてきで、おれは大好きなんだよ、ていうのを、たくさん伝えたくなるんだ。そうすると、どんどんエスカレートしていってさ、なんか結局傷つけてるねえ」
「自覚あったのか」
「そりゃね。いっぱい泣かせたしぃー、いじめてごめんっていつも謝ってるよ、心の中では」
 
 やめないでほしい。もっとしてほしい。ずっとずっと構ってほしい。名前を呼んでほしい。ぴったりくっついて離れたくない。溶けてぐちゃぐちゃになって混ざってそのまま消えたい。もっと、もっと、もっと!やめないで、とまらないで、おれが泣こうが喚こうが狂おうが何をしようとも気にせず手を止めずずっとずっと責めてほしい!

「むちゃくちゃだよ、もう」
「……」
「むちゃくちゃ……。こわいなー、おれ、嵌りすぎて抜けられないよ」
「……」
「オロクさん、心の中に、とんでもないもの飼ってるね」
 ザハークと最後にしたとき、終わったあと、めずらしくやさしい声で、こういっていた。
「いつか君を殺してしまう気がする、私がやらなくても、君を愛しすぎた誰かが君を殺す気がする」
 おれは笑って、おまえは占い師か、と軽くあしらった。だが、ザハークの言った未来はおれにとって現実的で、かつ理想的だった。
 いつか、眠ったまま目が覚めない日が来る。
 沈んだまま浮かび上がれない日が。
 溺れたまま息を止める日が。
 おそらくおれは心の中の獣に食い殺されて死ぬだろう、だが、万が一獣のほうが先に死んでしまったとしたら、それは、おれという男の価値が死ぬ日でもあるのだ。


 END
 2007.11.27 保田ゆきの






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