底なしに甘えて


 オロクさんは両手で顔を覆い、俯いている。震えはどうにか止まったようだ。おれはマグカップに熱いお茶を入れて、一つをオロクさんの前に置いた。
「大丈夫?オロクさん…」
 遠慮がちに聞いてみる。返事は無かった。本拠地に帰って来てからずっとこの調子である。おれはオロクさんの前に座り、お茶を啜った。



 初めてレルカー隊が戦争に参加した。おれの部隊の後方支援を任され、王子の部隊からは少し離れて出陣した。すでに戦闘は始まっており、武器のぶつかる音や、士気を高める声、中には悲鳴も交じり、戦場は混沌としていた。
「おれ達は傷ついた部隊を回復しながら、敵の部隊の前線を下げる。後方支援、宜しく!」
「おう!」
 と、威勢のいい返事をしてくれたのはヴォリガのおっさんだった。その時オロクさんがどこに居たのかはよく覚えていない。すぐにおれは水の紋章を使って傷ついた仲間を治すのに必死になり、敵を倒すのに夢中になった。
 ふと、後ろを振り返ると、レルカー隊の姿は無くなっていた。
「…嘘だろ」
 おれは慌てて引き返す。伏兵は無かった。おれの気付かない所で襲われているという事は無いはずだ。でもそれならば一体どうして?部隊の他の兵士に聞いても、皆気付かなかったと首を振った。
 平原を戻り、森に入ったところで、ワシールのおっちゃんの姿が見えた。
「おっちゃん!」
 おれは大声を張り上げる。ワシールのおっちゃんは、存外のんきな様子で、ああ、カイル君、と言った。
「すみませんね、こんな所で止まってしまって」
「いや、それはいいんだけど…。どうしたの?」
「いえ…。ちょっと、若い兵士が参ってしまって。」
 おっちゃんに促されて、森の奥を見る。レルカー隊に所属している若い兵士達が、うずくまったり、頭を抱えて俯いている。確かに皆、元を辿れば街の自警団だった若者達だ。初めての戦場に臆してしまうのも無理は無かった。
 おれはレルカー隊に、撤退を勧めようとして、ふと、若者の中にオロクさんの姿を見つけた。
 オロクさんは、口元を押さえ、自分の肩を抱き、じっと俯いて震えていた。
 おれはそれを見て、何故だか、ひどく驚いた。
 おっちゃんに肩を叩かれ、カイル君、と呼ばれるまで、絶句してひたすら凝視してしまう程、あまりにか弱く、脆弱で、普段のオロクさんからはかけ離れた様子だったからだ。




 そういった経緯で、戦場から帰って来たオロクさんは、自室にこもり、ずっと震えていた。おれはそんなオロクさんを放ってはおけず、かといって何も言ってやれず、ただ何となく側についていた。
 おれのマグカップが空っぽになり、オロクさんのお茶から湯気が立たなくなった頃、ようやくオロクさんが顔を上げた。
「おれは…おれは、自分が情けなくてたまらない…」
「そんな事言わないでよ。それで当たり前だって。ね、落ち込まないで」
 おれは身を乗り出してそう言った。しかしオロクさんは首を振る。
「おれは、レルカーにいた若者達を、徴兵し、無理矢理戦場に送り出していたんだぞ?それなのに、いざ自分が戦場に立つと、膝が震えて、もう、怖くてたまらない。のこのこと撤退して…こんな下らない話があるか?」
「オロクさん…」
「今だって、まだ怖い。もう思い出したくない程に。人の命のあまりの軽さが、こんなにも心細い…」
 そう言って自分の肩を抱く。おれは、オロクさんの頬に手を伸ばした。手の甲で頬を掠め、宥める様に髪を撫でる。
「駄目だ…カイル、優しくしないでくれ。甘えてしまう」
「甘えてよ。おれが、何のために居るんだか分からなくなるじゃない」
「だがおれは…」
 そう言って険しい顔を作るオロクさんの側へ寄り、おれはオロクさんの首筋に口付けた。抱きすくめると、オロクさんの体がまだ少し震えているのに気付いた。手のひらで背中を優しく叩く。
「おれは自分が許せないんだ。おれにそんな価値は無い」
「もー…。相変わらず変な所だけ、頭が固いんだねー」
 これはもう、無理矢理抱いてしまえと、おれはオロクさんに口付けながら服に手を掛ける。オロクさんはまだ苦しそうな顔をしていたが、おれには確信があった。
 今だけだ。
 そうやって自分を省みるのは今だけ。
 あと何回か戦場に赴けば、そんな繊細な感情は消えうせてしまう。必ずだ。
 だからおれは、オロクさんの心など気に掛けず、強引に慰めることにする。オロクさんはおれの背中に腕を回し、ひたすら甘えた。時に啜り泣き、時に声を上げながら、必死に縋り付いてきた。そうすることで、心の傷を無理矢理繕うかのように。
 おれは笑ってそれに応えた。きっとその顔は、恍惚としていただろう。


おしまい

2009年10月12日 保田ゆきの






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