心溶かして 近頃カイルは調子づいている。おれから見てそう思うくらいだから、きっと、赤の他人からすれば、避けて通りたいほどの煩わしい存在だろう。と、思いきや、周りの人間の様子を見るかぎりそうでもないらしい。それがまたカイルを増長させている。いっそすべてから嫌われてしまえばいいのに、なんて、おれは内心で呪っている。 なんせ奴は、なんでも出来るのである。 腕は立つし、容姿はいいし、口も達者で、それを自分でも重々分かっているから、その長所を上手に使う。身の処し方をよく心得ているのだ。 一方のおれはというと、口を開けば人を怒らせ、愛想もよくない方だから、そんな風にうまく世間を渡っていくカイルをみると、妬ましいような、憎たらしいような、なんともいえない気持ちになる。 「オロクさーん、こんにちは」 廊下の向こうから声をかけられた。おれは少しわざとらしく眉間にしわを寄せて、ああ、と気のない返事をする。カイルは少しも気にせず、おれの目の前に立った。仕方なくおれも立ち止まる。カイルは満足そうにほほえみ、言った。 「オロクさん、これから、暇?」 「暇もなにも、今から風呂に入って、あとは寝るだけだ」 「ふうん。あいかわらず、色気も素っ気もない生活してんだねー」 そう言ってにこにこと笑うカイルは、文句なしに朗らかだった。おれが舌打ちしたいほど苛立ったのは言うまでもない。 「……そういうおまえはどうなんだ」 聞いてから、すぐに後悔する。こいつの充実した余暇なんて、おれにはいっさい興味がない。むしろ聞きたくない。だからあわてて付け足した。 「あ、嘘だ、今のは、なし。そんなこと、どうだっていい…」 「あとでおみやげいっぱい持って、オロクさんの部屋に行くから、楽しみに待っててね」 「は?」 どうでもいいと言っているそばから、こいつはおれを巻き込んでくる。 「今からね、ちょっと、遊んでくるんだ」 カイルはそう言って、サイコロを振るような仕草をしてみせた。 「賭け事か?」 「そうそう。ほんとは竜馬レースもおもしろいんだけどね。あれは夜やってないしなあ」 「えらく自信満々なんだな」 「まあね。おれ、けっこう運いいし、賭も強いんだよ。まあ、楽しみにしててね。オロクさん、ぜったい、部屋で待っててよ」 「……なんでおれがおまえを待たなきゃいけないんだ」 「なんでって。楽しみがあった方が、張り合いあるでしょう」 そういってカイルは輝くような笑みを浮かべた。おれはあまりそれを直視しないようにして、ともかく風呂に向かった。カイルがおれにむかって、笑って手を振っているのが横目に見えた。 おれはおれ自身でよく分かっている、重々、自覚している。 つまりこういう、もやもやとした、割り切れない気持ちを抱いていることこそが、つまり、そういうことなのだろうと。 風呂から上がって、自室でぼんやりしていると、こん、こん、と消え入りそうな情けないノックの音が聞こえた。どうぞ、と促すと、入ってきたのはやはりカイルだった。さっきまでの明るい笑顔が嘘のように、どんよりと暗く、惨めな様子である。 おれは、ははん、と内心でほくそ笑んだ。 「カイル、おまえ、大負けしたな」 おれはずばりと聞いてみた。カイルはぱっと顔をあげて、おれの目をまじまじと見つめたあと、ふと体中から力をぬいて、うう、とうなった。 「こんなはずじゃなかったのにー……」 さっきまでの自信は、粉々に崩れさったようだ。おれはなんだかおかしくて、カイルのそばへ近寄った。カイルは下唇をつきだして、むくれている。 「なんだ、おまえ、そんなにショックを受けているのか?」 「そりゃそうだよ。もう。……おれ、めちゃくちゃ格好悪いじゃん」 「まあ、滑稽ではあるな」 「オロクさあん」 カイルが情けない声を出して天を仰ぐ。おれは声に出して笑った。 「笑い事じゃないよ、ほんと。せっかくさ、おいしいお酒でも買ってきて、二人で飲もうとおもったのに」 「ふふ。万事、そうは上手くいかないということだな。ははは。ああ、おかしい」 「ひどいよー、オロクさん」 カイルはそう言って大きなため息をついた。椅子に腰かけてテーブルにつっぷし、それからふと、思い出したように懐からキャンディをいくつか取り出した。 「なんだ、それ」 「参加賞だって。あはは。もうあんまりにおれが負けて負けて負けるもんだから、見るに見かねて、おっちゃんがくれたんだよ」 「そうか。参加賞か」 おれはテーブルに転がるキャンディをひとつつまみあげ、口に放り込んだ。それを食べながら、おれはひどく幸せな気持ちだった。べつにカイルの不運を笑いの種にしているわけじゃない。なんとなく、カイルという人が、おれのすぐそばに帰ってきたような、等身大にもどったような、そんな気がして、ただ単にうれしかったのだった。 「なに笑ってるの、オロクさん」 カイルはやはり落ち込んでいる。おれはその髪をなでて、額にキスしてやりたいくらいだったが、そんなことをしたらまたどうせこいつはつけ上がるだけだと、それくらいはもう分かっていたので、自重する。 代わりにこう言ってやった。 「おれは、高い酒より、このキャンディのほうがうれしい気分なんだよ。今夜はな」 そう言ってほほえむと、カイルはしばらくじっとしていた。そしてふと、体を寄せ、おれの肩を抱き、 「ねえ、オロクさん、なぐさめて」 と、すねたように言った。おれはすんなりと答えた。 「ああ。いいよ」 おれのかたくなだった心がようやく溶けた瞬間だった。 おしまい 2010年10月7日 保田のら |
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