俺は死んだ。

 それは、死にそうなところを危うく逃れたとか、生死の境をさまよったとか、そういうたぐいの話じゃない。俺は物理的にも史実的にも、完璧に死んだ。
 俺は本当に、たった今、死んだのだ。

 横たわる俺の死体を俺は見おろす。だれだって一度は、死んだあとどうなるのか考えたことがあるだろう。俺も何度も考えた。幽霊になるのか、天国やら地獄やらに行くのか、まったくの無、なのか。
(死後を恐れているみんなに教えてあげよう。ひとは死ぬと、幽霊になるみたいです)
 幽霊になった俺は俺の死体を見下ろしつつ、皮肉にそう思った。

 アップルさんが泣いている。私がしっかりしていればこんなことには、そういって少女のように泣いている。
「私が行けばよかったの。私が……死ねばよかったの……」
「そんなこと、言うもんじゃないよ」
 ルシアがぴしゃりといさめる。俺も同じ事を思っていた。そんなこと言うもんじゃないよアップルさん。俺は俺の勝手で前線まで出てしまったのだから。そして死んでしまったのだから。
 ふわふわ浮いた幽霊の俺は、そっとアップルさんに近寄った。もちろん触れることはできない。けれど、泣き続けるアップルさんがあまりに痛々しくて、俺はそっとアップルさんの肩に手を伸ばした。
 もちろん手はすり抜けた。そして、アップルさんはクシュッ、とくしゃみをする。

(寒いのか)

 俺はぞっとして、自分の手を見つめた。そう思いたくはないが、きっとこれは、悪寒、というものだ。アップルさんは明らかに悪寒を感じた。幽霊の俺が触れたから。
「ほら、しっかりしなよ、アップル。……あんたがそうやってちゃ、みんな不安になるよ」
「でも……でもあなたは悲しくないの?シーザーが死んでしまったのに……」
「悲しいさ」
 俺にとってその答えは意外だった。ルシアさんとはあまり関わりがなかったからだ。
 ルシアさんはアップルさんの肩をぐっと支えた。さっき俺がしたように、けれど俺にはないぬくもりをともなって。
「あいつはさ……あたしたち全部の命を背負って、戦場のど真ん中で気張ってた。それくらい、みんな分かってたさ……それはあの歳でどれほど辛かったろうね。だからあたしたちはみんな、シーザーを信頼してた。だから……悲しいのは当たり前さ。胸にぽっかり、穴が空いちまったようだよ」
 ルシアさんのやさしいことばを、アップルさんはひとつひとつ受け止めていた。涙をふいて、力強くうなづいていた。

 やがて二人が部屋から出て行ったとき、俺の胸は切なさでいっぱいになっていた。ひたひたと心が湿る。俺は死んだ、それにしたってどうしてさっさとこの世を去らせてくれないのだろう。
 俺の死を悲しむ人を、どうして俺自身が見続けなければならない!
 俺は俺の死体のそばに行った。今にもむくりと起き出しそうな表情をしている。けれどこの死体の腹には大きな穴が開いているのだ。俺を死に招きよせた原因。

 とつぜんガチャリ、と扉が開いた。

 俺はとっさにベッドの影に隠れる。隠れたあと急にむなしくなった。俺の姿はどうせ誰にも見えない。いつまで生者気分なんだ?
 それでも俺は、どうしても姿を表す気になれなかった。それすら面倒だったし、これ以上幽霊の自分に落胆したくなかったのかもしれない。
 入ってきた誰かは、俺の死体のそばでじっとしている。しばらくそうしたあとそいつは、すう、と息を吸い込んだ。

「おまえの最期を看取るのは、ぜったい俺だと思ってたんだがな」

(――ジョアン)
 声だけで分かった。俺の悪友、昼寝仲間、喧嘩友達、親友。今入ってきたのは間違いなくジョアンだ。
 俺は無性に、ジョアンの姿を見たくなった。一体俺の死体を見てどんな顔をしているのか。悲しそうなのか、平気そうなのか。いや、そんなことはどうでもいい。俺はただジョアンが見たかった。
 俺はそろっと影から出る。どうせジョアンには見えないのだから、堂々と出てもいいのに。ベッドの上の俺の死体から目を離さないジョアンを、幽霊の俺はそっと見つめた。
 不意にジョアンが、肌寒そうなそぶりを見せた。きっと俺の視線のせいだ。
 たまらなく切なくて、悲しくて、俺の胸はきゅうっとつぶれる。ジョアンは軽く腕をさすって視線を上げた。ちょうど、俺のいる方向を見る。

 真正面から視線が合った。ふと、生きていたころのような錯覚におちいる。ジョアンが俺を見て、なにか憎まれ口を叩いてきそうな、そんな感覚。
(――ジョアンには見えないのに。期待して、ばかだな)
 俺はふ、と笑った。

「おまえ、そんなところで何やってんだ」

 俺が笑ったのとジョアンがそういったのは、同時だった。





「――は?」
 俺は呆気にとられてジョアンを見た。ジョアンもぽかんとしている。幽霊の俺と、死体を交互に見比べて、ぱちぱちまばたいている。
(どういうことだ)
 俺はうろたえた。今まででいちばんうろたえた。(それはつまり、生きている間はこんなにうろたえたことがないということだ)
 ジョアンもわけが分からなさそうである。首をひねり、幽霊の俺に視線を向けた。
「お前、死んだ……んだよな?」
「ああ」
「じゃあ、お前は?」
「幽霊……?かな、たぶん」
 なんとまぬけな会話なんだろう。俺たちはしばらく混乱していた。落ち着いてみればかんたんなことだ。幽霊の俺をジョアンは見ることが出来る。それだけだ。

「うそみてえだな」
 ようやくおちついたジョアンは、笑いながら俺に手を伸ばした。もちろんスカ、と手は通り抜けてしまう。そしてジョアンはぶるりと震えた。
「なんか寒ぃ」
「まあ、幽霊だからなあ」
 俺はのんきに答えた。それもそっか、とジョアンも言う。
「じゃあ、そうだな……とりあえず昼寝しよう」
 ジョアンののんきな提案に、不思議と俺は反発する気になれなかった。ただ、そのときの俺は少しも、この世を去りたいなどとは考えていなかった。
 むしろこの世にとどまれたことが、そしてこうしてジョアンと会話が出来たことが、まるで最上の奇跡のように感じられた。


つづく








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