ずっとここにいる


 とんでもない怪我をしてしまった。
 どれくらいとんでもないかというと、あのキカ様でさえその姿を見たとたん蒼白になってしまうほどの、本当にひどい怪我だった。いっそすっぱり死んだほうが混乱はなかっただろう。下手に生きていて、しかも一分一秒を争う事態だったから、ダリオはおろおろと船を走り回り、ハーヴェイは半分泣きながら応急手当をし、キカ様はそんな男達に蒼白な顔で指示を出した。
 一方、俺の意識はじんわりと薄らいだり、とつぜん明瞭になったりした。あわただしい足音や余裕のない声を聞きながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。すいませんと言おうとしたら、血が喉に流れんでひどくむせた。ハーヴェイが「しゃべんな、馬鹿野郎!」とすごい剣幕で怒鳴る。遠くから、うるせえ馬鹿野郎、と叫ぶダリオの声も聞こえた。そして、いいからさっさと動け、と厳しく言い放つキカ様の声も。

 こんなふうな混乱の末、俺のしぶとい命はどうにか救われた。
 意識をとりもどしたとき、枕元にはぼんやりとうつむくハーヴェイがいた。その暗い面に向かって、「おい、そんな変な顔をして、何かあったのか」と声をかける。ハーヴェイはぱっと顔を上げた。俺が目をあけ、口を開いて話しているのを確認すると、ふにゃりと顔を崩す。
「何かって、何だよ。何もねえよ」
 そう言ってふにゃふにゃ笑いながら、椅子を引いてさらにこちらに近づいた。指先で俺のひたいをさわり、少し汗ばむ髪をかきあげる。
「すっかり怪我人の顔つきじゃねえか。辛気臭えなあ」
 言っていることが無茶苦茶である。ハーヴェイの言葉につられて笑うと、ハーヴェイも「ヘッ」と舌を少し出して笑った。
「やっぱ痛むか?」
「ああ、まあな。体中がまんべんなく痛いよ」
「ふうん……」
 そりゃ大変だ、とハーヴェイは腕を組む。それから頭をがりがりとかいて、
「な、ちょっと俺の手を握ってみてくれよ。思いっきり」
といった。
「手を?」
「おう、手をだよ」
 ハーヴェイの言うことは相変わらず突拍子がない。差し出されたハーヴェイの手を、言われたとおりにぎゅっと握った。肩と肘が少し痛んだが、思ったより腕の怪我はたいしたことがないようだ。
「おっ、いいじゃねーか」
 ハーヴェイはそういいながら俺の手を握り返す。そして手を離さずに続けた。
「だってお前、いくら呼んでも目え開けねーし、手を握っても握り返して来ねーし。さすがにもう駄目かな、って思ったぜ」
 あっけらかんとした声だった。でも何も言ってやれなかった。
 ハーヴェイは俺の手を離さずに、ベッドにつっぷした。もしかしてずっと枕元で付き添ってくれていたのだろうか。
「疲れたなら、もう部屋にもどって寝てくれよ」
 そういうと、ハーヴェイはぎゅっと手に力を込めて、
「ずっとここにいる」
と呟いた。
 ずっとここにいる。そういったハーヴェイの声は、この男に似つかわしくない、ひどく悲しい響きをもっていた。
 何か応える代わりに、ハーヴェイの手をぐっと握った。俺は生きている、ここにいるぞ、という気持ちを込めて。あの時いえなかった、ごめんなさいの気持ちを込めて。

END

2005/11/02 保田ゆきの









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