いつものようにトリスタンが医務室の扉を開けようとしたとき、中から底抜けに明るい笑い声が聞こえてきた。まずユウのものではない、はずだ。そう考えたトリスタンは、いちど咳をしてから中に入った。
「こんにちは……」
「ああ、こんにちは、トリスタンさん」
 トリスタンの方を振りかえったユウは、にこにこと笑っていた。せ、先生がにこにこ笑っている?思わずトリスタンの咳も引っ込む。ぱちくりと目を丸くしていると、ユウの向こう側からまた笑い声が聞こえた。
「あーっはっはっは、は、は」
 声と一緒にベッドがぎしぎしと揺れている。病人か、怪我人か、とにかく誰かがベッドに寝ているようだった。病気だか怪我だか知らないが、ずいぶん元気な患者である。そんなトリスタンの気持ちを読んだのか、ユウは笑いながら口を開いた。
「ああ、彼は、先の海戦で負傷したんですよ。手当てをして、やっと治りかけてきたというのに、こんな風に馬鹿笑いをするんです」
「だって先生の話、おっかしくてさあ」
 先生の話?思わずそう聞き返した。ユウが冗談をいったりして人を笑わせるタイプにはみえない(それはもちろんトリスタンもだが)。
 ああそうだよ、と男は笑いながら言った。
「だって、小麦粉を薬だと思い込んで、ずうっと飲み続けてる患者がいるってんだぜ。おっかしいよなあ」
「そんな人がいるんですか」
 トリスタンは素直に驚いた。自然と笑いがこみ上げる。男と一緒に笑っていると、ユウがとつぜんごほんと咳払いをした。
「まあそんなことは、どうでもいいですよ」
「そんなことって、先生が言い出したんじゃないか。いやあ、おれ、すっかり傷口が開いたよ。ぱっくりと」
「だ……大丈夫ですか……、ゴホッ」
「大丈夫、大丈夫。あっはっはっはっは」
 どうやらユウの話以前に、もともとこの男が笑い上戸らしい。自分とは似ても似つかぬ性格だが、好感が持てた。
「ともかく……そろそろ体を休めなさい。本気で治りが遅くなりますよ」
「はーい」
 ユウの言葉に元気よく返事をして、男はベッドにもぐりこんだ。おもしろい人だなあ、とトリスタンは改めて思う。ふとユウの顔を盗み見ると、彼はなぜか険しい顔をしていた。
 いや、険しいというより、なにかを思いつめるような……。
「……先生?」
「……え、ああ、はい、薬ですね。すいません」
 そういいながら棚を探すユウの様子は、どこか上の空に感じられた。




 それからトリスタンはたびたび医務室を訪れた。よく笑う彼の名前はエドというらしい。エドはよく笑うが、それ以上によく話した。
「まったくどうしようもない人ですね。こんなにべらべらと喋る患者は初めてですよ」
 そう言うユウの顔もどこか優しい。なんだかんだでエドのことを気に入っているのだろう。
「エドさんは、いったいどこを怪我されたんですか……」
 トリスタンはベッドの側にあった椅子に座り、エドにそう聞いた。エドは首を傾ける。
「うーん、大きいのは右腕と右脚だな。とっさに右側でかばったからさ」
 左にしときゃよかったのになあ、そういってまた笑った。よく見ると、右肩から右腕にかけて包帯が巻かれている。きっと右足も同じように手当てされているのだろう。
「その怪我は…、ゴホッ、…戦闘のときに……?」
「いや、紋章砲だよ。船に直撃したとき、破片が思いっきり飛んできたんだ。衝撃で背中も打つし、散々だったぜ」
 そう話すエド自身がけろっとしているので、トリスタンはどういう顔をしていいか分からなくなった。するとユウが椅子に座ったまま、エドの寝ているベッドの方を向いて、
「しかし怪我ですんでよかったですよ。あの海戦は辛勝でしたから」
と、言った。エドも少しだけ目を伏せて、まあな、とつぶやく。
 急に場の雰囲気が暗くなった。トリスタンはあわてて、
「早く怪我が治るといいですね」
と言った。
 エドはにっこりと笑って、ありがとう、と言った。



 なんでだよ、こわくねえよ!そんな大声が聞こえてきて、トリスタンは思わず足を止めた。
 廊下の奥から聞こえる。少し迷ったが、様子を見に行くことにした。
「そんなこと言ってたら、いつまでたっても戦争は終わらないじゃねーか。おれはそっちの方が嫌だし、戦うことが怖いなんて思ったことねえよ」
「それはジェレミーが馬鹿だから」
「なんだって!」
 ジェレミーとトラヴィスだった。険悪な雰囲気ではないが、話題はあまり楽しくなさそうだった。トリスタンは二人に近づき、どうしたんですか、と声をかけた。
「あっ、トリスタン。なあ、お前だって、戦争を早く終わらせるために、全力で戦うのがいいと思うよな。怖気ついたって何も変わらないもんな」
「い、いったい……何の話ですか……ゴホッ」
「だってトラヴィスが、戦いたくないなんて言うから、……」
 そういってジェレミーはちらりとトラヴィスを見る。トラヴィスは表情を変えないで、当たり前だ、と答えた。
「トリスタンは兵士だったんだろう」
「え、あ、はい……」
「戦うことが好きだったのか」
「い……、いえ……ゴホッ……」
 トリスタンが兵士になったのは、他に身の立てようがなかったからだ。打たれ強さを買われ、とんとん拍子にオベルの兵士となった。訓練に明け暮れ、警護を務め、病気をしている間に戦争が始まり、そして今のこの軍にいる。
「おれは何も、戦いが好きなんて言ってねえじゃんか」
 ジェレミーが口を挟んだ。
「戦争を終わらせるために、みんなが戦うことが必要だって、そう…」
「それはお前が強いから言えることなんだ」
 トラヴィスの口調が急に強くなり、ジェレミーは驚いたような顔をした。トリスタンも驚いて閉口する。
「誰だって死にたくない。仕方なく兵士になったやつや、迷いながらこの戦いに参加しているやつだっている」
 戦争なんて意味が分からない。
 最後にそう付け足して、トラヴィスは廊下の奥へ消えた。トリスタンは、ジェレミーが怒って何か言うんじゃないかと心配したが、彼は打ちのめされたように黙っていた。
 トリスタンはなぜか、急にエドのことを思い出し、悲しいような気持ちになった。






 次の海戦はすぐにやってきた。
 クールークの抵抗は激しく、今までの中で最も苦しい戦いとなった。
 トリスタンが乗っていた船にクールークの兵が乗り込んできて、白兵戦にまでもつれ込んだ。自分の腕でクールーク兵を斬る。誰だって死にたくない、というトラヴィスの声が頭に浮かんだ。
 誰だって死にたくない。トリスタンは死にたくない。
 いまトリスタンが殺しているこの敵兵たちも、みんな死にたくはなかったのだ。

 死にたくないのに、死んでゆく。
 そういえば自分だって、殺したくないが殺しているのだ。

 戦争なんて意味が分からない。
 再びトラヴィスの言葉が脳裏をよぎる。そういうトラヴィスだって、結局戦争に参加するし相手を殺す。

 ああ、意味が分からない。戦争が嫌で、戦争を終わらせるために戦争をする。
 反戦のための戦争って、なんなんだ。
 国のためであるとか、そこに住む大切な人のためであるとか、それを理由に人を殺すことが愛なのか。

 そんなことを考えながら、それでもトリスタンは目の前にいる人間の腹を斬り、腕を斬り、背を斬っていた。
 白兵戦に片がついたとき、ひどく醒めた、冷酷な心境になっている自分がいた。





 船に戻るとサロンのソファにエドが座っていた。そばには松葉杖が立てかけてある。
「エドさん、どうしてここに?」
「医務室は、今日の戦いの負傷者でいっぱいなんだ」
 さすがに笑っていなかった。トリスタンもうつむいて、隣に座る。
「……先生、すごく怒ってた」
「先生が?」
「ああ。何度けが人を治しても、それ以上の人間が死んでいくって。まるで、戦いに行かせて死なせるために手当てしているような気になる、って……」
 エドはそういいながら、左腕を自分の右腕にのばした。そうだ。今回はこの怪我が治っていなかったから戦いには参加しなかったが、次はきっと……。そこまで考えて、トリスタンは嫌になった。
「……おれ、先生の様子を見てきます……」
「うん」
 エドが少しだけ微笑んで頷いた。トリスタンはその笑顔に背を押されたような気持ちになった。


 大体の手当ては終わっているようだ。負傷者はベッドに寝かされている。キャリーがその様子を見て回り、カルテに何かを書き込んでいた。
 ユウは椅子に座り、散乱している道具類を整理していた。
「……先生、」
「なんですか、トリスタンさん」
 トリスタンに背を向けたまま、ユウは応える。ユウの口調は普段どおりに思えた。むしろ、普段よりも落ち着いているようにも。
 何となく、無理をしているのかな、と思う。
 そんなこと考えられるほど、自分は余裕のある人間ではないが。
「……あ……、なんでもないです……」
 かける言葉が見つからなかった。トリスタンはいくつか咳をして、退出しようとする。
「今でも」
 ユウが突然振り返っていった。トリスタンをまっすぐに見ている。
「今でもエドさんに、早く怪我が治ると良いですね、って言えますか?」
 トリスタンは言葉を失う。医務室のドアノブを握る手が汗ばんだ。
 ユウは表情を変えずに、
「わたしは言えます」
と、続ける。
「なぜなら、わたしは医者だからです。医者は患者を治すために存在するからです」
 トリスタンは、はい、とかすれた声で返事した。その声に応えるように、ユウは目を細める。
「人の体は、ぽんと治ったりしない。ゆっくり、ゆっくり、治ってゆくんです。人が死ぬのも本来は同じだ。ゆっくり死んでゆく。それなのに、こんなにもあっけなく、ぽん、ぽん、と命が奪われる。
 わたしには戦争の意味が分かりません。もしくは、医者がいる意味が、」
 分かりません。
 ユウはそう締めくくった。トラヴィスと同じことを言っている。
 トリスタンはドアノブをぎゅっと握り締めながら言った。
「……おれは、先生がいないと、困ります…」
 弱音のような調子になる。ユウに一蹴されそうだ、と思ったが、意外にもユウは表情を和らげた。
「ええ。エドさんにも、ここにいる患者の皆さんにも、同じことを言われましたよ」
 うれしいことです、そういって少しだけ笑うのだった。




 廊下に出ると、やはりジェレミーとトラヴィスが言葉を交わしていた。トリスタンはそっと近づく。
「おれ、あのあとからずっと考えたんだけど、やっぱ結論はでねえよ。戦争なんて早く終わらせたい。おれはきっと、傭兵だから戦いに慣れてるんだ。だから慣れてない奴まで駆り出されてる今の戦いは、早く終わるべきなんだと思う。でも、でも……」
 戦う以外に終わらせる方法なんてあるのか?ジェレミーはトラヴィスの目を見てそういった。トラヴィスもまた、ジェレミーの目をまっすぐに見返している。
 ジェレミーは自分なりに考え、結論は出ないという結論をだしたのだろう。
「おれにも分からない…」
 トラヴィスの声はやさしかった。
「トリスタンだって、そうだろ?」
 トラヴィスに名を呼ばれ、はい、と慌てて返事する。
「きっとリノ王にも、リーダーにも、分からないんだろうなあ……」
 みんな自分のとなりにいる人のことだけで精一杯なんだ。
 そうつぶやくトラヴィスの目は、悲しくなるほど静かだった。トラヴィスのとなりにいる人というのが、自分やジェレミーのことだったらいいのに。トリスタンがそう思うと、
「トラヴィス、お前のとなりにいるやつって、もちろんおれとトリスタンだよな」
と、ジェレミーが素直にそういって笑った。
「馬鹿。おれのとなりはねこだけで十分」
 トラヴィスはふざけたようにそう言うと、歯を見せて笑った。ジェレミーもトリスタンも笑う。笑うと心が和らぎ、不安が薄れる。
 そういえば、エドもよく笑っていたな、と思い出した。彼が笑うのも、もしかしたらそういう意味があったのだろうか。
 ……いや、ないだろう。
 あれは生まれつきの笑い上戸だ。
「おい、トラヴィス、見ろよ。トリスタンがにやにや笑ってる。めずらしー」
「えっ…」
「にやにや笑いは、思い出し笑い。思い出し笑いはすけべの証拠だ」
「ええっ」
 ジェレミーとトラヴィスの面白がるような表情に囲まれ、トリスタンは慌てた。勘弁してください、としどろもどろで言うと、二人はまた朗らかに笑い出す。

 悲しみは何度でも人の心を巡るが、もしかすると、笑いもまた人の心を巡るのかもしれない。
 エドと話しているときユウがよく笑ったように。
 今こうして、トラヴィスとジェレミーが笑っているように。

 そう思うとトリスタンの顔には自然と笑みが浮かんだ。なんて心地のよいことだ。よく笑う人は、それをよく知っているのだ。
「あ、また」
「すけべ笑い」
「だから、違いますって!ゴホ、ゴホッ」
 そして廊下にはまた、明るい笑い声が響き渡る。
 うるさいですよ、医務室の側で。ユウがそう言ってひょこりと顔を出し、あっはっは、と笑いながらエドがエレベーターから出てきたのは、そのすぐ後だった。


おしまい


「悲しみはメリーゴーランド」という曲は、サザンオールスターズの結構古い歌です。この曲以外にも、サザンの歌にはサザンなりの反戦歌がけっこうあります。
幻水の世界には国単位の戦争がつきものですが、1や4の戦争では、人の数がカウントされてますよね。攻撃のたび、ルーレットみたいにどんどん減っていくのがとても怖かったのを思い出して書きました。
5では戦争がどう扱われるのでしょうね。

2006年2月24日 保田ゆきの






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