晴れやかではない


 カイルがオロクたちの部屋を訪ねると、オロクは険しい顔つきで腕を組み、俯いていた。普段あまり思案事をしないヴォリガでさえ、同じような格好で何か考え込んでいる。その中でワシールだけがカイルに気付き、やあ、カイル君、とにこやかに言った。
「どうしたの、おっちゃんたち。なにかあったの」
「いえ、ねえ。ちょっと困ったことがありまして」
 ワシールは言葉を濁す。ヴォリガが目を開いていった。
「ひとまず諦めたらどうだ、オロクよ。俺ぁ、そいつの言い分も気持ちも、十分理解できるぜ」
「それはおれも同じだ。だが、危険と分かっていて放置できない。気持ちの問題だって、いつかは乗り越えないといけないんだ」
「そりゃ、そうだけどよ……」
 二人の表情は厳しかった。カイルは口を挟めず、小声でワシールに問う。
「ねえ、何の話?」
「ううん。まあ、話せば長くなるんですが……」
 ワシールも小声で返した。
「実は、西の中洲にある一軒の家が、問題になっているんです」
「西の中洲って、オロクさんの所でしょう。あの戦いで、焼けちゃった……」
「ええ、そうです。あのあとレルカーの住民達は、オロクを筆頭に西の中州の復興作業をしているんです。修繕できるところは直し、焼けてしまった建物は、一度壊して瓦礫を片付け、更地に戻しています。なのですが、ほぼ焼けてしまった家に、今なお住むといって聞かない人が居るのです」
「焼けた家に?」
「ええ、焼けた家に」
 ワシールは眉根を寄せる。
「たしかに、気持ちは分かります。焼けたといっても、形は残っていますから」
「だが」
 急に、オロクが口を挟んだ。少し疲れた表情をしていた。
「だが、あんな家、いつ崩れるか分からん。本人は勿論危ないし、周りの人間だって不安だろう。だから、運べる物だけすべて運び出して、家はもう壊してしまおうと何度も説得したんだが、一向に埒が明かないんだ」
 そういって深いため息をつく。ヴォリガも頭を掻いて、息を吐いた。
「その、家に残るって頑なに言い続けてるのは、白髪交じりのじいさんでよお。なんでも、息子やら、娘やら、孫やらが、遊びに来るからって聞かねえんだ。この家じゃなきゃだめだっつってな、あんまりに切々と語るもんだから、おれなんかそういうのに弱くてなあ」
「じゃあ、その息子さんとかに説得してもらったらいいじゃない」
「それがな、そいつらはそれぞれ別の町で家族持ってるらしくて、家に訪ねてくるのも、一年に1、2回なんだよ。んでもって、どこに住んでるんだかわからねえ」
「じいさんに聞いても、はぐらかすばかりで、はっきりしないんだ」
 カイルはそれを聞きながら、オロクたちの苦労が垣間見えた気がした。それにしたって、焼けた家に一人で住む老人の姿を想像すると、悲しいような、寂しいような、胸をさす痛みを感じる。
「困ったね」
「困った……」
 それからしばらく、沈黙が続いた。カイルはそっと部屋を抜け、自室へ戻った。



 次の日、カイルは一人でレルカーに向かった。作業中の住民達に会釈しながら、問題の家を探す。
 その家はすぐに見つかった。両隣がもう更地になっているのに、煤けてぽつんと建っている家。壁は焦げ、屋根も端々が朽ちている。これは危ない、と素人目にも分かる有様だった。
「おじいちゃーん」
 カイルは遠慮のない声で、家の扉を開け、中へ呼びかけた。返事はなかった。カイルは構わず家の中へ入っていく。
「おじいちゃーん?」
 もう一度呼びかけると、誰だ、というしゃがれた声が聞こえてきた。カイルはそちらに向かって歩いていく。
「あっ、いたいた。こんにちは」
「……?誰だ、あんた」
 老人は怪訝な顔つきでカイルを見た。カイルは愛想よく笑う。
「おじいちゃん、おれ、覚えてない?昔、ちっちゃい子どもだったころ、何度かこの家に来たことがあるんだけど」
「んん?……昔、なあ」
「そう。昔。ヴォリガのおっさんから逃げてるときに、裏口からひょいって入り込んだの」
「うん?待てよ……。ああ、確かに、そんなことがあったなあ。外から若造の怒鳴り声が聞こえてきて、ふと台所を見ると、見慣れん子どもが悪戯っぽい顔で座っとった。そうか、あんた、あの時の子どもかい」
「そうだよ。おじいちゃん、飴とかおせんべいとかくれたでしょう。おれ、西の中洲にはあんまり来なかったけど、それだけは覚えてるんだよねー」
 カイルはにっこり笑った。老人もおかしそうに笑う。
「はあ、それにしたって、もうすっかり兄ちゃんだわなあ。わしも歳をとるわけだね」
「そうだよ、おじいちゃん。こんな危ない家に一人で住んで、なんかあったらどうするの」
 カイルは眉根を寄せて言う。老人は困ったように笑った。
「そうは言うがなあ。いや、あんただけじゃない、この街の顔役さんやら若い衆やら、みんなそう言うよ。もちろん、わしを心配してくれとるのは、よく分かっとる。ありがたいよ。だが、なあ……」
 言葉尻が、かすれて消える。カイルは何も言わなかった。
 子どもの頃、何度かこの家に来た。その何度目かに、赤ん坊の泣き声を聞いたことがあった。きっとあれが、この老人の孫だったのだろう。たいそう大事にしていたようだから、初孫だったのかもしれない。
 居間からもれ聞こえる団欒の声。家族の居ないカイルは、それを聞いて、いたたまれない気持ちになったものだった。そっと家を抜け出し、ヴォリガの家に戻り、ごめんなさいと素直に謝る。ヴォリガは拍子抜けして、怒るのも忘れ、何かあったのかとカイルをいたわり、晩飯を少し豪華にしてくれたりもした。
 人は、過去の温かな思い出を振り返るとき、それが優しければ優しいほど、そこから抜けがたくなる。
 ヴォリガやオロクが言っていたとおり、老人の気持ちはよく分かった。
 だが、それではだめだ。
「おじいちゃん、でもこの家、本当にいつ崩れるかわからないよ。せめて、大事な物だけでも運び出しておいたら」
「ううん……しかしなあ……」
「おれも手伝うから」
「そうかい?」
 老人は渋々だったが、カイルの提案を受け入れた。重い腰を上げて、写真や、指輪や、本や、手紙などを少しずつ集めてきた。
「これで全部?」
「まあ、そうだな。本当に大切な物は、これだけだ。炎で焼けてしまった物もあるから、もうこれだけしか残っとらん。だが、すべて、わしの大切な思い出だよ」
 老人は目を細めて、その品々を見つめた。カイルは一つひとつを丁寧に箱に移した。
「ねえおじいちゃん。これ、とりあえずヴォリガのおっさんちに運ばない?東の中州は被害を受けていないし、おっさんはこういう物、心底大事にしてくれる人だからさ」
「そうさな、まあ、あんたの言うとおりにするよ」
 老人は半ば上の空で言った。品々から香る思い出の懐かしさに酔っている様だった。
「じゃ、行こっか。本当に、もう何もないね?」
「ああ。あとは、この家そのものだな。わしの思い出ってやつは……」
「……」
 カイルは何も言わず、箱を抱えて家から出た。老人もゆっくりとした足取りでついてくる。家の周りは相変わらず殺風景だ。両隣の更地にも、前の路地にも誰も居ない。
 カイルは十分にそれを確認した後、靴紐がほどけた時のような仕草で立ち止まってしゃがみこんだ。老人はのんびりとカイルを追い越し、東の中州へ続く橋へ向かう。
 老人の背中を一瞥した後、カイルはそっと振り返った。手の甲が、やわらかな緑の光に包まれた。
 竜巻にも似た突風が吹き、家は、大きな音を立てて崩れ去った。




「もう、限界だったんだなあ。命が助かったことが奇跡だよ。この際、踏ん切りをつけて、息子夫婦を訪ねてみようかと思っとるんだ」
「そっか。うん、それはいいかもね」
「そう思うか、兄ちゃん。ふふ、実はわしも、本当はそうしたかったのに、変に意固地になってしまっていた……のかもしれん」
 あれだけ固執した家が崩れ去ったというのに、老人の表情は晴れやかだった。カイルから大事な品々を受け取り、手にとってながめる。目じりから涙が一粒流れ落ちた。
「ああ、本当に懐かしい。あいたいなあ、皆、元気かなあ」
「おじいちゃん、会いに行けばいいんだよ。会えるときに、会っておかなきゃだめだよ」
「そうだな、そうだなあ……」
 老人は何度も頷いた。そして次の日、老人はレルカーの若い衆に付き添ってもらいながら、レルカーを出て、息子の家を訪ねていった。
 カイルはそれを見送った。
 決して晴れやかな気分ではなかった。

「カイル」
 老人と入れ違いになるように、オロクがレルカーに来た。
「オロクさん。どうしたの、怖い顔で」
「カイル、おまえ、何かしたな?」
「なにかって、何」
「そりゃ……何かは何かだ。まあ、丸く収まったようでよかったが。しかし、いささか強引過ぎたんじゃないか」
 オロクは非難するようにカイルを見た。カイルは気にせず笑ってみせる。
「いいんだよ。だって、おじいちゃんの家、本当に危なかったんだから。誰かがあれぐらいしてあげないと」
「おまえは……」
 オロクは頭を抱えた。しかしその顔は、もうカイルを責めていなかった。それを見たカイルもようやく心が軽くなる。
 今日も西の中州では、復興作業が進められている。焼け爛れた悲壮な雰囲気は少しずつなくなっていた。更地が増え、新しい建物も建ち始めている。活気があり、前向きである。
「でも、あそこに新しい家が建って、それがどんなにきれいだって、もう、おじいちゃんの思い出の家ではないんだなあ」
 カイルはぽつりと呟いた。オロクは聞こえなかったのか、それとも聞こえないふりをしているのか、何も答えなかった。



おしまい

2009年11月08日 保田ゆきの








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