白を汚した


 まっしろのうつくしい布地があった。
 いや、もしかしたらそれは、すべらかな陶器だったかもしれない。もしくは新雪だったかも。
 ともかく、目のくらむような白だった。それはけっして触れてはならないものだった。
 なのにおれの無遠慮な手は、そんな決まりなど知らないと言わんばかりにのびていく。
 おそるおそる、人さし指が白に触れる。触れたとたん、しびれるような感覚があった。それは爆ぜるほど熱いのに、なぜか同時にひんやりと冷たい。その冷たさが指をつたっておれの背すじを戦慄させる。おれは夢中になってその白に触れた。はじめは右手で、やがて両手で、我を忘れてその白を撫でまわし、それでも飽きたらずに、唇で啄ばんだり、舌で舐めたり、歯で噛んだりした。

 ふと、手を止める。

 気づいたときには、白はもう、白でなくなっていた。
 おれの触れたところからじわじわと、黒のような赤のような、濁った汚らしい色が、白を侵していた。すべらかだった表面は、醜く縮んだり伸びたりしながらただれてゆく。
 おれは叫んだ。
 必死で、残された白いところに手を伸ばす。そして目を閉じた。自分の叫んでいる声がやけに耳について、うるさくてたまらなかった。





 目を開けると、眠っている真田さんの顔と、その頬にそえられた自分の手が見えた。おれはなぜか、ベッドの上で真田さんに馬乗りになりながら、おかしな夢を見ていた。
 だんだん意識がはっきりしてくる。おれはゆっくりと自問自答を始めた。
 ここはどこだ。ここは自分の部屋でも真田さんの部屋でもない、ラブホテルの一室だ。なぜおれはここにいるのか。それは街に出た大型のシャドウを倒すためだ。なぜおれは眠っている真田さんの上にいるのか。それは大型のシャドウの精神攻撃のためである。
 よし、これで大丈夫だ。おれは安心して息を吐いた。
 ともかく真田さんの上から降りて、やけにでかいベッドの端に座る。あらためて真田さんを見下ろした。そして、いつもはきっちりと閉まっている襟元が(ほとんど引きちぎったように)はだけられているのに気づいておれは焦った。まさかこれ、おれがやったのか?おれは恐る恐る手を伸ばし、露わになっている真田さんの首元や肩口をみた。そして頭を抱えた。
 やってしまった。
 点々と残っている跡は、おれに対する死刑宣告だった。
 おれは頭をフル回転させて、どうにかごまかす方法を考えた。しかし行き着く先は死刑だった。おれはすんなりとあきらめ、素直に謝る作戦に決めた。
「真田さん、起きてくださーい」
 ともかくこの人を起こして、それから土下座だ。おれは真田さんの体をゆすった。
 真田さんはあっさり目を開けた。元から起きていて、ただ目をつぶっていただけのような目覚め方だった。真田さんは体を起こし、ひざだけベッドに乗り上げていたおれをまっすぐに見つめた。
 この人、目がおかしい。おれは気づき、警戒する。敵シャドウの支配下にあるかもしれない。うかつに手を出せなかった。しかし、もし正気ならすぐさま土下座なので、おれはますます自分の身の振り方に困った。
 真田さんはぼんやりしたまま、おもむろに自分の襟に手をかけた。おれは焦る。
「あっ、あの、真田さん!その、襟がはだけてるのは、お、おれが……」
 やっぱ土下座か、とおれが数歩下がると、真田さんはちらりとこちらを見て、すっと目を伏せた。そしてシャツのすそから自分の手を差し入れた。シャツがずり上がってちらっと白い腹が見えた。真田さんの手は自分の胸元をまさぐっている。
「っわーー!わー!」
 おれは慌てて真田さんの腕を掴んでひっぱった。そのまま手首を拘束する。
「なっ、なっ、何やってんスか!ほんと、しっかりしてくださいよおお!」
 顔が火照って熱い。シャドウの精神攻撃おそるべし。おれはさっきの真田さんの痴態(というしかないよなあ、もう、本当に参った)が頭の中でリピートして、そんな真田さんはいやだ、と拒む自分と、やらしい真田さんか……、と妙に喜ぶ自分とがひたすら戦っていた。
 その間に真田さんの目の色は、じょじょに元に戻っていった。ぱしぱしと瞬きをして、
「順平……?」
と名前を呼ばれる。やっと正気に戻ってくれた、とおれは安堵する。
 そしてふと、今の状況を考えてみた。
 はだけた真田さんの襟元、例の跡、ずりあがったシャツ、そして手首をつかんでいる自分。
 それらをすべて認識するスピードは、おれより真田さんの方が速かった。真田さんの顔が急に赤くなった。
「な、な、」
 真田さんはおれの手を振り切り、両手で自分の体を確かめていく。おれは、半分はそうだけど半分は誤解、というこの状況をどうしていいかわからず、真田さんの中で戸惑いと怒りと羞恥がみるみるふくれあがっていくのを黙ってみていた。
「これは、どういう……」
 真田さんは真っ赤な顔でぎろりとおれをにらんだ。
「いやあ、あの、シャドウの精神攻撃のせいで、ほら、色々ありまして、でも決しておれだけのせいじゃないッスよ!これはまじで!」
 おれの言葉をきいて、真田さんは今度は青くなった。
「まさか……おれも何かしたっていうのか」
 おれはしまった、と思ったが、もう遅かった。何も返せずに、ただへらっと笑うと、真田さんは絶望してベッドに寝転んだ。
「くそ……許さん……シャドウめ……ぎたぎたにたたんでやる……」
 そんな呟きがぶつぶつと聞こえてくる。ともかくおれの死刑は執行されないようだった。よかった。
『真田先輩、順平くん、だいじょうぶですか!?』
 タイミングよく風花の通信が聞こえてきた。
「だいじょうぶに決まってるだろ!」
 真田さんは大声で怒鳴り返した。風花はおびえた声で、ハ、ハイ、といった。かわいいそうな風花。おれは苦笑して、じゃあいきましょーか、と真田さんに言った。
「ちょっと待て」
 真田さんは苦労して襟元を正している。おれは笑いそうになった。風花がまた、何かあったんですか、と聞いてきた。
「何もない!!」
 真田さんはまた吠える。おれはたまらずに大笑いした。


おしまい

2006年8月19日 保田ゆきの






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