かっこの日常



 二年男子の6月の体育は走り高跳びだった。ちなみに女子は体育館でバレーボールをしているらしい。順平は淡々と棒に向かって走るクラスメイトを見ながらうんざりした。どうせなら野球や、サッカー、バスケ、そういったゲーム系の種目をやりたい。それを隣にいた中山に言うと、「おれは高跳びもけっこう好きだ」と返ってきた。
「そりゃお前は、陸上部じゃん」
 話しているうちに順平は自分の番がきたので、適当に跳んだ。最後に脚を抜くのを失敗して棒を落とす。しっかりやれ、と体育教師に言われながら列の後ろに回った。グラウンドのとなりにあるテニスコートでは、他のクラス(ジャージの色から3年生だと分かる)がテニスをしていた。楽しそうだった。いいなあと思いながらそれを見つめていると、軽々と跳び終えた中山が順平の後ろに回って、
「真田先輩がいる」
といった。
「えっ、マジ」
「うん。手前のコートの向かって右」
「んー……」
 順平は目を細めた。言われて見れば真田に見えなくもない。しかし順平は、中山ほどはっきりとは分からなかった。
「お前、目えいいなー」
「まあな」
 中山はどうでもよさそうにそういった。
 全員の記録をとり、用具を片付けてもまだ時間が余った。体育教師は鋭く笛をふいて、「あまった時間でグラウンドを5週するぞ」と言った。とたんに不平不満の声が上がる。教師は平気な顔つきで、
「よーし、はじめ!」
と強引に言い放つともう一度笛を吹いた。
 みんなだらだらと走り始める。しかし順平は周りのクラスメイトが思うほどいやではなかった。テニスコートに近づいたとき、真田の様子を盗み見てやろうと思っていたからだ。
 テニスコートからは笑い声が聞こえてくる。教師は自由に打ち合いをさせているらしく、充実した開放感がそこにはあった。
「こええよ真田あ」
 笑い声のうちの一人がいった。思わず順平は凝視する。そこには3、4人の先輩と、笑っている真田がいた。
「悪かった」
「まじ、ビュンッてきたぜ、球」
 わはははは。真田を含めた数人の集まりがまた笑った。どうやら真田が本気で球を打ち返したらしい。普段から鍛えている真田の腕力はすごいのだろう。しかし順平にはそんなことより、真田をとりまく日常をはじめてきちんと見たことの方が重要だった。真田にも友達がいて、日常がある、そんな当たり前のことに今はじめて気づいた心地だった。


 その日の昼休み、順平はいつものように購買にパンを買いに行った。中山やゆかりは「朝のうちにコンビニで買っちゃった」らしい。これもまたいつものことだった。
 購買には軽く人だかりができていた。まだパンが売り切れることはないだろうが、人気のものはなくなるかもしれない。順平は早足で階段を駆け下りた。
 そして人だかりの中に真田を見つけた。
「あれっ、真田さん」
 購買で会うなんて珍しい。思わず順平は声をかける。ちょうど今パンを買い終えたらしい真田は、声にふりむくと少し笑った。
「おまえも昼飯を買いにきたのか」
 順平は、はい、と返事をして、いそいでパンを選んで代金を払った。人だかりから抜け出て真田のそばに駆け寄る。一緒に階段をのぼりながら他愛もない雑談をした。
「真田さん、さっきの体育んとき、テニスしてましたよね」
「ああ」
 じゃあグラウンドにいたのはお前らのクラスだったのか、と真田は頷く。
「笑い声がめちゃ聞こえてたッスよ」
「そうか」
 真田ははにかんだように肩をすくめた。それが真田らしからぬ幼い仕草だったので、順平は何度か瞬きをした。今日は真田の新しい面ばかり見ている気がする。
「じゃあ、また寮でな」
 二階につくと、真田はそういって一人で階段をのぼっていった。まだぼんやりしていた順平は、気の抜けた返事をした。


 その日の深夜、影時間。
 いつものように、中山、真田、ゆかり、順平の四人でタルタロスの探索を行った。美鶴は通信でバックアップを行っている。上の階層へのぼっていくたび、通信機のざらついた音とともに現在の状況を教えてくれた。
 遭遇したシャドウとの戦闘がおわり、ゆかりが皆の回復をしている最中に、とつぜん真田がよろけ、体勢を崩した。
「だいじょうぶですか?」
 ゆかりがあわてて体を支える。真田は辛そうにうつむいていた。
「ああ……、だいじょうぶだ。すこし、疲れただけだ」
 このメンバーの中で真田が一番に疲れるというのは珍しかった。もしかすると元から体調が良くなかったのかもしれない。そもそも、彼が前線に復帰してからまだ一ヶ月もたっていないのだ。
「もう戻りましょう」
 中山が静かに言った。美鶴にもそれを伝え、今いる階層の脱出ポイントを探し出して四人は一階にもどった。
「大丈夫か、明彦」
 美鶴は真田に声をかけた。
「ああ、休めば治る」
 真田は中山に、すまんが先に戻る、と声をかけたあと、タルタロスから出て行った。
「ねえ、私たちも今日はこのへんで引き上げたほうがいいんじゃない?」
 ゆかりが言う。順平も同じ意見だった。美鶴も同意する。中山は分かったと頷き、「帰ろう」と言って扉を開いた。
 順平はいそいでタルタロスから出て、真田の姿を探した。真田は少し前を歩いていた。
「真田さん、」
 追いついて声をかける。真田はちらっと順平を見た。ひどく疲れているようだった。
「だいじょうぶっスか」
 声を潜めて言うと、真田は苦笑した。
「実を言うと、全然大丈夫じゃない」
 それを真顔で言うものだから順平は驚いてしまう。真田は続けて、倒れたら介抱してくれよ、と言った。
「まじっすか、え、中山とか桐条センパイとか呼んできたほうがいいっすか」
「馬鹿、呼ばなくていい」
 真田は慌てて否定した。そして順平をまっすぐに見上げて、
「お前だから言ったんだ」
といった。
 順平は何もいえなくなった。黙って真田の隣を歩くので、精いっぱいだった。



 案の定、真田は疲労から風邪を引いた。それなのに翌日順平が学校へ行くときにはもう真田の姿はなかった。風邪を引いたときぐらい、おとなしく寝ていれば良いのに。順平はそう思ったがどうしようもなかった。
 その日授業を受けているときも、なんとなく真田のことが気になってしょうがなかった。今頃クラスメイトに心配されているのだろうか。もしかしたら、からかわれているかもしれない。なんとかは風邪ひかないって言うの、うそだったんだなーとかなんとか。まあそれは自分が風邪を引いたときに周りに言われた言葉だったが。
「やっぱり真田先輩、風邪ひいちゃったんだって」
 休み時間にゆかりがそういった。
「体調管理とか、人一倍気をつけてそうなのにねー」
 確かに。順平と中山は頷いた。
「なあんか、あの人、風邪とかひいてても無茶しそうだよなあ」
「だよね。まず今日学校に来てること自体、ありえないし」
「だな」
 ゆかりと順平がそういって頷いていると、中山がグラウンドに面した窓をみて言った。
「先輩、体育に出席するみたいだ」
「えっ!?」
 慌てて窓に駆け寄ると、テニスコートの準備をする生徒の中に真田を見つけた。遠目では彼の体調は分からないが、さすがに本調子ではないだろう。
「ほんっと……すごいよね……」
「なんつーか……なあ」
 人には、無理するなだの、きちんと体を休めろだの言うくせに。三人は揃ってため息をついた。

 放課後、中山は陸上部へ、ゆかりは弓道部へいった。順平はいつものようにポロニアンモールをぶらぶらしたあと、のんびりと寮に帰った。
 荷物を置いたらラウンジでテレビでも見るか、と階段に向かって歩こうとして、ふと人の気配を感じた。あわてて振り返ると、どこからか物音が聞こえる。ソファか?順平は恐る恐るソファに近づいた。
 ちょうど廊下から死角になるところに、真田が寝ていた。
「……っびびったああ……」
 順平は思わずへたり込む。そして同時に腹が立ってきた。こんなところで中途半端に寝たら、風邪なんて治るはずない。順平は荷物を肩から下ろして、真田に声をかけた。
「真田さん!こんなところで寝たら、ますます風邪がひどくなりますよ!」
「……、」
 真田さんはわずらわしそうに眉根を寄せ、ソファの上で器用に体を反転させた。まったくこの人ときたら。順平は大きく息を吐いた。気分はもう真田の母親である。
「寝るなら自分の部屋で寝てください!ほら、早く!今すぐに起きる!」
 順平は真田を追い立てるように急かした。耳元で騒がれて、真田はようやく目をあけて順平を見る。順平はそんな真田の額に手を当てて、
「あっちぃ、」
と目を丸くした。そのまま真田の首にも手の甲を押し当てた。やはり熱い。
「すっごい熱じゃないスか!体育なんか出て無茶するから、」
「……なんで知ってるんだ」
「知ってますってそんくらい!当たり前じゃないっスか!」
 むちゃくちゃな理屈だったが真田は気に留めなかったようだ。ゆっくりと上半身を起こし、そのまま立ち上がろうとする。順平はとっさに手を貸した。真田も自然にそれを受け入れ、順平の力を借りながら重々しく立ち上がった。
「……眠い…」
「いいことじゃないっすか。風邪んときは、寝るのが一番」
 よたよたと歩く真田を時々支えながら、順平は真田を部屋まで連れて行った。ドアが閉まるぎりぎりまで、ちゃんと寝てくださいよ、とか、しんどかったら呼んで下さい、なんて言い続けた。真田は少し笑いながら、何度も頷いていた。
 順平は一人で階段を下りながら、おれはオカンかっつーの、と自分自身につっこみをいれた。



 翌日の朝、学校へ行くしたくを整えて1階に降りると、ソファに真田が座っていた。おはよーございます、と声をかけると、真田は鞄と上着を持って立ちあがった。
「おはよう。昨日は心配をかけて悪かったな」
 おかげですっかり全快した、真田は順平のとなりに立ってそういった。
「よかったッスね!でもあんま無茶したら、またぶり返しますよ」
「分かってるさ」
 そのまま二人で寮を出た。朝日が寝起きの目をさす。だがもうじき梅雨が始まるのを思うと、太陽が出ていることをありがたく感じた。
「二年の男子は、いま、走り高跳びをしてるんだな」
「あー、はい、そッス」
 つまんないんスよ、と言おうとしたとき、真田が笑顔を浮かべてこう言った。
「楽しいだろう。おれも二年のときは、ひたすら記録に挑んだな。どうしても陸上部のやつに勝ちたくて」
 それを聞いた順平は、何も言えずに笑みを返した。真田らしい、とも感じたし、適当に授業を受けていた自分が、何故だか恥ずかしく思えたのだった。

 その日の4時限目がちょうど体育だった。体操服に着替えながら、順平は中山に言う。
「な、お前さ、今高跳びの記録ってどんくらい?」
「あんまり覚えてないけど……160cmぐらい」
「ふうん……」
 どうせ中山のことだ、本気を出せばもっと跳ぶんだろう。順平はまっすぐ中山の方を見て、びし、と人さし指を向けた。
「おれはお前の倍、跳ぶ!」
「…………」
 ぽかん、と口を開けて中山は順平を見た。よしよし、今は呆れておけ。おれは必ずお前を超えてやる。順平はわくわくした。腹の奥で、何かが燃えて熱を放っている。おれはやる、おれはやるぜ。自分でも不思議なほど力がみなぎってきた。
 よーし、やるぞ!とガッツポーズを決める順平を、中山はやはりぽかんと見つめるのだった。


おしまい

2006年8月21日 保田ゆきの






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