殴り殴られアロハオエ 2年の夏休みのことだった。真田はいつものように上着を肩に引っ掛け、さらにわざわざグローブまでもって荒垣の前に現れた。無駄に伸びた背筋、まっすぐな眼差し、締まった口元。それらは思う存分、荒垣の神経を逆撫でした。思わず半目で真田を見る。真田は模範的な笑みを浮かべ、 「主将になったぞ」 と言った。まったくもってどうでもよかった。だから、そうかよ、とそっけなく返してやった。 「ああ、そうだ。部員の中でいままで無敗なのは、俺ぐらいだからな」 「……」 「おれはまだまだ強くなるぞ」 「……てめえ、何しに来たんだ?そんなどーでもいいことを、自慢しに来たつもりか?」 荒垣は舌打ちをした。だが真田は怯まなかった。むしろ、待ってましたと言わんばかりの表情だった。 「また来る」 そう言うなりくるっと身体を反転させ、カツカツとモデルのような足取りで帰っていった。意味が分からん。 荒垣はぱかっと口を開けて天を仰いだ。夏の夜はなかなか来ない。まだ明るい空を見ながら、もうふた月もたてばあの日だ、とぼんやり思った。とたんに内臓中をかきむしられるような心地になった。自責と後悔と羞恥。にごった感情が荒垣を支配しようとする。思わず叫びたくなった。 今さらどうしようもねえ。いくら悔やんだって、それに比例して罪が軽くなるわけではない。悔やむことも忘れることも、荒垣にとっては同等に禁忌だった。 9月も半ばまで来て、朝夕が涼しくなってきた。真田は例の格好で例のごとく路地裏にやってきた。 「シンジ、体がなまってきたんじゃないか?」 「そりゃそうだろうな」 あっさり認める。すると真田は、意表を突かれました、というような顔をした。なぜか驚きより切なさの方が勝る表情だった。 「……おれは変わらず絶好調だ、」 「そりゃよかったじゃねえか、主将サン」 「……」 真田は腕を組んでうつむいた。らしくない格好だった。荒垣が興味深くそれを見つめていると、 「また来る……」 といって、とぼとぼと帰っていった。やっぱり意味が分からん。荒垣は真田の背中を見送りながら首をかしげた。あいつはいったい何がしたいんだ?荒垣の知る真田は、愚直で単純な筋肉馬鹿だが、ときどきその馬鹿さ加減についていけないときがある。たとえば今だ。 どうせまた来るんだろう。荒垣は目を閉じる。10月のあの日はもうすぐそこまで迫っている。ひどく怖かった。同じぐらい悲しかった。身震いするほどに。 両手で顔を覆い、じっとする。呼吸だけに集中すると頭が空っぽになった。これでいい。これで……。荒垣が静かに息を吐くと、遠くからこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。 「こんばんは」 柔らかい、という表現の斜め上を行くような居心地の悪い声だった。荒垣は舌打ちをする。 「白々しいこと、いってんじゃねー…」 顔を上げると、そこには悠然と構えるタカヤと、険しい表情のジンがいた。ジンは乱暴に薬を投げつける。あえて受け止めなかった。カプセルがいくつか入っている包装シートは荒垣の胸の辺りに当たり、ひざの上に落ちた。 「前から聞きたかったんやけどな、自分、何のためにクスリ飲んどんねん。おれらと違うて、お前は、こんなん飲まんでもペルソナに殺られたりせんやろ?」 ジンの声は冷ややかだった。タカヤも特に咎めない。荒垣は鼻で笑った。それが答えだった。言う必要もない、荒垣の下らない自己愛だ。力を抑えることが、命を縮めることが、償いの一つだと思い込みたいだけだ。 ジンはつばを吐いた。どうしようもないわ、と言い捨て、タカヤと共に路地裏から消えた。 荒垣はひざの上に落ちた薬を拾い、ポケットの中へ入れた。立ち上がり歩き始めると、包装シートが擦れてカサカサと音を立てた。耳障りだ。枯葉を踏みつける音の方が、随分ましだと思う。 10月4日、影時間。 荒垣はさすがに路地裏には居られず、その手前の広場のベンチに座っていた。周りには棺がごろごろと立っている。象徴化というらしいが、いつ見たって気色悪い光景だった。 やはり真田は来た。来るだろうと思っていた。来て欲しかった、のかもしれない。 「シンジ、……」 真田は突っ立ったまま、荒垣の名を呼んだ。 「……腕相撲でもしようか」 「っは?」 荒垣は目を丸くした。真田自身もあまりすっきりしない顔をしている。日が日だけに、荒垣は苛ついた。てめえの馬鹿に付き合う気分じゃねえ、いいかげんにしやがれ。荒垣は立ち上がり、真田に詰め寄った。 「なんなんだ、てめえは。言いたいことがあるならはっきり言え。意味わかんねーことばっか言いやがって」 荒々しい口調に真田は眉根を寄せた。荒垣の胸倉を掴み、近すぎるだろうというほど顔を近づけて、ものすごい剣幕でまくしたてた。 「ああ、わかった、言ってやるよ。おれはな、お前を焚き付けたかったんだよ、シンジ。煽って、挑発して、それでお前が奮起してくれれば、もう一度一緒に戦えればと、……」 思ってやってたんだよ悪いか!最後の言葉に合わせてどん、と突き飛ばされる。荒垣はベンチにぶつかり、座り込んだ。真田はそれをまっすぐに見下ろす。 「一緒に戦いたいんだ」 真田の声は震えていた。感情があまりに昂ぶっているからだろう。目じりが赤い。 「シンジ」 真田は荒垣をベンチに押し付けるように体重をかけて、力ずくで抱きしめた。荒垣は頬に真田の髪があたるのを感じながら、辺りを見た。棺、棺、棺……。寒気がするような光景だ。こんなものに囲まれて、何をしているんだろう……。 荒垣は真田を抱きしめ返そうとした。単純に嬉しかったし、そうする方が心地いいだろうと思った。そのつもりで腕を動かしたとき、カサ、とポケットから音がした。 薬の包装シートが擦れる音だった。 「……あ、」 血の気が引くのが、自分でも分かった。 発作的に真田を突き飛ばす。真田は驚いた顔で荒垣を見た。怒りでもない、悲しみでもない。ただ驚いていた。まるで第四の選択肢を突きつけられたような顔だった。 「あ、アキ、おれは」 荒垣はポケットの上から薬を押さえつけた。何故だかくらくらする。貧血によく似ためまいだ。 「おれはもう、戻れねえ」 荒垣の異変に気づいたのか、真田はもう一度荒垣に触れようとした。荒垣はその手から逃げた。はっきりと拒絶した。 「おれがいなくても、お前は前に進めるだろ。行け、行ってくれ、もうおれは一緒には行けないんだ、アキ」 真田はじっと聞いていた。そのまま直立の姿勢で、拳を握り締める。それをゆっくりと、逃げを打つ荒垣の胸板に押し付けた。 「そうか、好きにすればいい。でもおれは、諦めないからな」 「……」 真田は拳を下ろした。ほんの少し名残惜しそうな目線をよこしたあと、また踵を返して去っていった。そしてちょうどのタイミングで影時間が終わった。 棺はひとの姿になり、夜中の気だるい喧騒が戻ってくる。荒垣はベンチに座りなおした。そのまましばらく動けずに、ただじっとしていた。そういえば10月4日はもう終わったのだと気づく。一年後、自分はこの日をどうやって過ごすのだろうか。 考えても無駄なことに一瞬だけ思いをはせ、荒垣は笑った。 突き放すことになっても、殴られることになっても、それでも隣にアキがいればいいなと、なんだか素直に思えたのだった。 おしまい 2006年9月11日 保田ゆきの 仲間に加わる前の荒垣は、その突き放しっぷりが切ない… ちなみにタイトルは語呂がいいなと思ってつけただけで、意味はあんまりないです |
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