上下左右裏表 自分の部屋の中で荒垣の姿を見つけた途端、これは夢だと気づいた。世界中の人間が知っていることだが、死んだ男は二度と動かないのだ。だから目の前の男は真田の脳が作り出した偽者である。 偽者は部屋の真ん中で立ち尽くし、真田に気づいていないようだった。真田は、夢を楽しむことにした。荒垣の側へいき、名前を呼びかける。 「シンジ、何をやっているんだ」 「…アキか……」 荒垣は肩をいからせて真田を見た。真田のベッドに腰を下ろし、また会っちまったな、と言う。 「さっぱり行こうと思ったんだがな、行きそびれちまったみてえなんだ」 「そりゃ……大変だな」 「大変に決まってる」 真田は荒垣の隣に座った。それからゆっくりと荒垣の体に手を伸ばした。生身の感触がした。引き締まった荒垣の肉体。その感触を味わった真田は、自分の脳の中にこんなにもリアルな記憶があったことに驚いた。 ふと気がつくと、荒垣はまっすぐに真田を見ていた。真田が気恥ずかしくなって目を逸らすほど、まっすぐに。 「顔つきが変わった」 荒垣は言った。 「そうか?最後に会ってから、まだそんなに経ってない」 「変わったさ」 荒垣は幼い笑みをこぼし、親指で真田の目じりを押さえた。 「目が違う」 ふうん、と真田は返した。意味はよく分からないが、きっと褒められているんだろう。まんざらでもなく思っていた真田に、荒垣は「寝るか」と言ってごろりと横になった。真田もその隣に寝転ぶと、荒垣が不器用な、しかし迷いのない動きで腕を回して真田を抱き寄せた。真田は息を吐きながら、夢の終わりを思った。 朝目覚めると、荒垣は穏やかな寝息をたてて眠っていた。思わず真田は天を仰ぐ。そのまま必死に思考を巡らせた。なんだ、なんの悪夢だこれは。 荒垣はベッドの上で身じろぎ、唸った。寝ぼけた声で、 「学校遅刻すんぞ」 といった。 真田はいつも通り登校し、授業を受け、部活に出た。そしてずっと考えていた。死んだ人間が生き返らないというのは、嘘なのか? 寮に帰り、恐る恐る自室に戻る。やはり荒垣はいた。昨日と同じようにぽつんと立ち尽くし、途方に暮れている。 「ただいま、……」 「ああ」 荒垣は自然な様子で頷き、突然はにかむような顔をした。このおかしな状況に順応したふりをしているお互いが、どうにもこうにもくすぐったい。そんな心境だろう。しかしその表情は、真田から見ると、ひどく無防備で荒垣らしくなかった。 今度は真田が先にベッドに座った。荒垣もすぐそれに習った。 「シンジ……生きてる、のか?」 「いや。死んでる」 「……」 「言ったろ。行きそびれただけで、行けるならすぐにでも行く」 行くなよ、とは言えなかった。あまり言う気もしなかった。真田は背を伸ばし、荒垣の首筋に唇を押し付ける。ひどく熱い。血の通った、生きている体だと感じた。 それからしばらく寝不足の晩が続いた。真田は居心地の悪さと、不思議に満たされた心をいっしょに感じていた。同時に、この生活にも慣れつつもあった。 そんな真田に対してある日荒垣は言った。 「おれはもう、行く」 部屋の真ん中で棒立ちになるのは、真田の番だった。 「行けるのか、」 「ああ」 「どうやって……」 「おまえにゃわからねえよ、死んでねえんだから」 荒垣の言葉は冷静だ。真田は目を泳がせる。どうせこうなるんならはじめから、というような後悔の念が押し寄せた。さみしい。ただ、さみしい。 おもむろに荒垣の手を握り、なおさら心細くなる。荒垣はそれを見下ろしながら、 「さみしいもんだな、案外」 とこぼした。 真田は嗚咽を漏らした。ここまで動揺するとは、と冷静に自分を見つめるもう一人の自分がいる。だがそいつは見つめるだけで、抑制もできないし宥めることもしなかった。だから嗚咽は止まらない。息が苦しい。顔が熱くなってくる。 「アキ」 荒垣は熱い指先で真田の素肌に触れた。あちこち、からだじゅう、すべてひとつになりたくて、上も下も左も右も表も裏もぜんぶ溶かして混ぜ合わせる。真田は嗚咽を上げ、呻き、喘いで、目を真っ赤にしたまま意識を手放した。 次に目を覚ましたとき、荒垣はもういなかった。 「うわ、真田サン、目ェすっげー腫れてるじゃないすか」 ラウンジにいた順平が目を丸くした。「顔やられたんすか」と言って、ボクシングの真似事をしてみせる。真田は苦笑し、そんなところだと言った。それから数回くしゃみをした。もう風が随分冷たい。空気も乾いてきている。 真田は突然、荒垣の手を思い出して目を細めた。人より熱いあの手は、冬になるとよく荒れるのだそうだ。もはやどうでもいいことだが。 そして真田はいつも通り登校した。 おしまい 2006年9月29日 保田ゆきの |
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