うやうやしくめをとじて


 夏休みが終わろうとしている。
 一日の中で一番暑い時間帯、は住宅街を歩いていた。あと五分ほど歩けば商店街につくだろう。かしましい蝉の声を聞きながら、首筋を流れる汗をふいた。
 うしろから単車の音がした。は道路の左によける。近づいてくるエンジンの音と一緒に、「さん」という声が聞こえた。は振り返った。小西尚紀が酒屋のバイクにまたがりながら笑っていた。
「配達の途中?」
「そうですよ。もう暑いのなんのって」
 そう言う尚紀は嬉しそうだ。きっと両親と上手くいっているのだろう。尚紀はバイクの後ろに積んである酒瓶ケースをちらりと見て、
「もうすぐ配達終わるんですけど…。よかったら、これからウチに来ませんか?」
と言った。
「あ、でも、さん、どっか行く途中ですよね。すみません」
「いや」
 は笑う。
「ちょうど、尚紀のところに行ってみようと思ってたんだ」
「そうなんですか?じゃあ、ちょうどよかった」
 すぐに配達終えて帰るんで、ゆっくり来てくださいね!尚紀は慌てたようにバイクを走らせ、珍しく大きな声を出してそう言った。は笑って手を振る。尚紀が走っていった道の先に蜃気楼が出来ていた。



 四六商店に寄って、傷薬をいくつか買った。どくだみ茶や鎮静剤、うがい薬も買っておく。そしてドロン玉。
 以前、テレビの中を探索しているとき、心底ぞっとしたできごとがある。そろそろ戻ろうと話していた矢先に強敵に出くわした。雪子と花村が毒に侵され、千枝は重大なダメージを受けて瀕死、もあわや戦闘不能というところでようやくそこから逃走できた。ひとつしかなかったどくだみ茶は、花村がから剥ぎ取って雪子に飲ませた。四人でふらふらになりながら入り口広場にたどり着いたとき、は、自分の膝が震えていることに気づいた。
 誰かが死んでもおかしくなかった。そうなったのは自分の責任である。
 それ以来そういったアイテム類は、用心しすぎるくらいに買っている。「あれがあれば助かったのに」という後悔だけはしたくなかった。
 買い物を終えて小西酒店に向かった。店の前にバイクがとめてある。尚紀はもう帰っているようだ。店の中をのぞくと、尚紀の母親がに気づいて会釈した。店の奥に行き、
「尚紀ー、先輩がきてるよー」
と呼ぶ。
「こんな暑いのに、尚紀と遊んでもらって、どうもすみません」
 母親は笑ってそう言った。以前に比べて雰囲気がやわらかい。尚紀の努力を垣間見た気がした。
「すみません、さん。待たせちゃって」
 尚紀が奥から顔をだす。母親も、どうぞ上がってください、と促した。
「おじゃまします」
 は靴を脱いで店の奥に入った。
 風鈴の涼しい音が聞こえてくる。畳のにおいが気持ちいい。尚紀はを居間に通し、座っててください、と言った。
「いまそうめん作ってて。すぐ出来るんで」
 は素直に座った。テレビをつけようとして、そういえば高校野球はもう終わったんだった、とリモコンを置いた。振り返って台所を見る。尚紀が菜ばしを持って鍋をつついていた。見られていることに気づいていない尚紀の後姿は、ひどく無防備で、は飽きずにそれを見つめていた。
「お中元とかでいっぱいもらうもんだから、そうめんが中々なくならないんですよね。で、変わったレシピとか集めてて。これは、ごまだれ風味のそうめんです」
 尚紀が運んできたのは、ごまだれの中にねぎと豚肉が入っためんつゆだった。それにそうめんをつけて食べるととてもおいしい。
「変わってておいしい」
「でしょう?まあ、あんまり食べると胸が焼けますけど」
 尚紀は麦茶をついで、自分もそうめんに箸をつけた。しばらく二人でそうめんをすする。
「…尚紀、すごい焼けてるな」
 不意にが、尚紀を見ていった。
「腕とか、ほんと真っ黒ですよ。ほとんど毎日配達に行ってるから、Tシャツ焼けがすごくって」
 尚紀は箸を置いて、シャツのそでをめくった。腕にはくっきりと色の境界線があった。かっこ悪ぃ、と尚紀は笑って腕をさする。
さんはあんまり焼けてないですね」
「俺、日に当たるとすぐ赤くなるけど、あんまり黒くならないんだよな」
「女子が聞いたらすげー羨ましがりそうですね」
 尚紀はそういいながら、じっとの腕を見つめている。は、何となく尚紀の言いたいことがわかっていた。案の定尚紀はこう口にした。
さん、生傷だらけですね。…普段、どんな生活送ってるんですか」
 は苦笑した。とても本当のことは言えないし、言う気もない。尚紀はあの世界とはまったく別物で居てほしい。自分だって、せめて尚紀といる間は、戦いだのペルソナだの関係ない、ただの高校生でいたかった。
「ま、いいですけどね」
 努めて明るく笑う尚紀のおかげで気が楽になる。ただただ一緒にすごしたい人間が、いま自分の前にはっきりと存在している。それをかみしめながら、尚紀の作ったそうめんを平らげた。





 いちどだけ、尚紀とキスをしたことがある。尚紀が本を借りたいといっての家に来たときだ。いきさつはあまり覚えていない。きっと自分も緊張していたんだと思う。嬉しそうに本を選ぶ尚紀に、夕日の光が窓から差し込み、もうどうしようもなくきれいで、切なく、胸が締め付けられ、それでそうなったのだろうと思う。
 尚紀は拒まなかった。ただ恭しく目を閉じていた。やり場に困った腕が時々ぴくりと動いたり、瞼が細かく震え、まつげにうっすらと涙がたまったり、肩が小さく揺れるのがかわいらしくて、は口付けながら目を開けて、焼き付けるようにそれを見ていた。





 そうめんの皿を二人で片付けた。ああそうだ、と手をふきながら尚紀が言う。
「この前借りた本、もう読み終わったんで、返しますね」
 本と言われて自然とあのときの出来事を思い出したが、気づかないふりをした。
「よかったら、俺の本も何か持って帰ります?」
「うん」
 尚紀の後ろについて部屋へ向かう。歩きながらふと、さっき台所に立っていた尚紀の無防備な姿を思い出す。何となくうなじに手を伸ばしてみた。
「わっ…!」
 触ったこちらが驚くほど、尚紀は体をこわばらせた。気づかなかったが、尚紀はひどく緊張しているようだった。尚紀も本の話題と一緒にあのときのことを思い出していたのかもしれない。平静を装って意識していたのか。少し気まずい空気が流れる。それを断ち切るかのように尚紀は立ち止まってこちらを振り返った。
「あ、あの、さん…」
「何?」
「…いえ……」
 尚紀は結局何も言えずにまた歩き出した。ああ、慌てている尚紀が可愛い。は尚紀に気付かれないようにこっそりと笑った。尚紀はこちらを見ずに部屋の中に入る。もそれに続く。
 そして部屋のドアが静かに閉められた。


おしまい

2008年8月7日 保田ゆきの

尚紀かわゆいよー尚紀!






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