壊しがたい壁 いつものように尚紀と晩飯を食べた帰り、小西酒店に着いたとたんに「ああそうだ」と尚紀が急に立ち止まり、「ちょっと待っててもらえますか?」と言って家の中へ入っていった。外で待つはぼんやり空を見上げる。夕日はもう沈み、一番星が控えめに空の隅のほうで光っていた。 「すみません、待たせちゃって」 尚紀は紙袋を持って出てきた。これ、持って帰ってください、とに差し出す。 「なに?」 「最近うちで販売し始めた、えっとなんだっけ…、あ、そうそう、パウンドケーキです。日本酒がしみこんでて、すごくおいしいって評判なんですよ」 「へえ、おいしそうだな。でも何で急に…」 は紙袋を覗き込みながら聞いた。尚紀は俯いて頭をかく。 「いや…この前、花村さんに肉食わせてもらって、そのお礼をまだしてないな、と…」 その中に二箱入ってるんで、ひとつは、よければ花村さんに食べてもらってください。尚紀は決まり悪そうにそう言った。 は、自分で渡せばいい、と言いそうになったが、思い直す。たとえを通してでも、自分から花村と関わろうとする尚紀に、成長を感じたからだ。 「わかった。明日学校に持ってくよ」 「すみません、こんなややこしいこと頼んで」 尚紀はそう言って頭を下げた。 「…って、尚紀が」 次の日の昼休み、昨日あったことをそのまま伝えた。花村はパウンドケーキを口へ放り込み、うめえ!と声を上げた後、 「そんな気ぃ使わなくてもいいのになー」 と言った。 尚紀、尚紀ねえ…花村は腕を組む。 「おまえさ、あいつとすげー仲いいよな?」 「うん」 「いや、うんって。即答かよ」 花村は苦笑した。は気にせず笑っている。 「だってさ、小西先輩の弟だろ?小西尚紀。どういういきさつで仲よくなるんだよ」 「保健委員の仕事で一緒だった」 「ふーん。ま、いいけどさ。だって、あいつ、一時はすっげー暗かったのに、いまは割と誰とでもうまくやってるもんな。この前ジュネスに来たときも、こいつこんなに素直だっけって、ちょっと可愛く思ったし」 「尚紀は可愛いよ」 の言葉に、お前が言うとこえーよ!と花村は笑った。 「…でも、もらいっぱなしも悪ぃよな。このまえの肉はさ、べつに返してもらうつもりでおごったんじゃねーし」 よし、、今日の帰りちょっとおれんち寄ってくれ!花村は意気込んで笑い、パウンドケーキ最後の一切れを口に放り込んだ。 「…って、花村が」 次の日の放課後、学校で、今度は尚紀に昨日のやり取りをそのまま伝えた。ついでに花村から預かった菓子折り(ジュネスブランドの洋菓子。おいしい)を渡す。尚紀は呆れたように笑った。 「お返しにお返しって。別にいいのに。きりないですよ」 「花村の性格からいって、自分がもらっておしまいには出来ないんだと思う。だから、遠慮なくもらえばいいよ」 は尚紀の気を楽にさせるつもりでそう言った。しかし尚紀は唇を尖らせている。 「怒った?」 不思議に思ったは単刀直入に聞いた。 「や、怒ってないです。すみません。ただ、さんと花村さんてずいぶん仲いいんだな、と思って」 それ昨日花村にも言われたな…内心でそう思いながら、はほくそ笑んだ。 「なに、尚紀、妬いてるの」 「違いますよ!」 尚紀は顔を赤くしての言葉を否定した。はますます笑う。なんて面白いんだ。尚紀。本人はからかわれたと思い、わざと怒った顔をしてをにらんでいる。 「もう。じゃ、これ、遠慮なくもらいますから!」 そういって菓子折りを受け取ると、さっさと玄関から出て行ってしまった。は苦笑してそのあとを追う。 最近の尚紀はよく、配達を手伝ったり、店番を手伝ったりしている。だからテレビの世界から帰ってきて、憔悴しきったたちを、何度も見ているはずだった。ついこの前は、疲労でくたくたになっている完二を家まで送っていったとき、道路で思いきり出会ってしまった。 尚紀は何も言わなかった。目も合わせなかった。 も特に声を掛けず、むしろ気づかぬ振りをしてさっさと店の前を通り過ぎた。 尚紀はどう思っているのだろう。何を感じ、考えているのだろう。 気になってはいるが、はどうしてもそれが聞けなかった。尚紀が目を合わせようとしなかったことが、が気づかぬ振りをしたことが、二人の間に壊しがたい壁を作っていた。 早足の尚紀にやっと追いつく。もう尚紀の表情は柔らかかった。結局人に冷たくしきれないんだから、そういうところがまた可愛い。 「……花村さんとか、巽完二とか」 「うん?」 「仲いいのは、ぜんぜんいいんです。さんが普段何をしていようと、自由ですけど」 突然そんなことを話し始めた尚紀を、は驚きの表情で見つめた。尚紀は前を向いて、の顔を見ないまま、続ける。 「でもね、俺の知らない間に、いなくなっちゃうのは、いやですよ」 俺にとっていやなことがあるとすれば、もうそれだけなんです。そういう尚紀はやはりこちらを見ない。何度も瞬きをして、気持ちの奔流をやり過ごそうとしている。 は、うん、と答えた。 なんだか、ずっとほしかった言葉を、今ようやく与えてもらえたような心地だった。ただ存在してくれといってもらえる喜び。は尚紀の背中を叩いた。 「うん。ぜったい、やくそくな…」 それを聞いた尚紀は、に気づかれないように、唇をかみ締めた。 おしまい 2008年8月8日 保田ゆきの 自称特別捜査隊のリーダーである主人公と、戦い自体には全く関係ないただの後輩・尚紀という組み合わせがもえるんですけどどうですか!? テレビとかはぜんぜん分からないけど、主人公に生傷が耐えないのを心配する尚紀… 姉ちゃんのこともあって、大事な人が突然いなくなるのに心底おびえていると思う でも主人公は、心配ないよーくらいしか言えなくて、そのへんがちょっともどかしいよね、という話です |
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