ぶつけて、甘えて



 目の前がちかちかして、激しいめまい、右も左も分からなくなり、代わりにふつふつと、怒りに似た感情が、自分を支配した。息が荒くなり、言葉が理解できず、ともかく心のままになにかを叫んで、目の前のものに剣を振り上げた。
 確かな手ごたえ。しかしすぐに手から剣が離れてしまう。何の迷いもなくこぶしを振り上げた。ともかく、目の前のなにかが憎い。壊したい。ぐしゃぐしゃにしたい。抗いがたい衝動に、欲望に、身を任せた。

 気がつくと陽介が、自分の目の前で、ひどく傷つき、うずくまっていた。





 テレビから出て、まっすぐ家に帰るつもりだった。今日は菜々子にすら会いたくなかった。
 陽介を傷つけた自分に対して、仲間達は、しかたないよ、と優しい声で言った。
「あの敵の術、やっかいだよね。混乱しちゃって、敵も味方もわからなくなるし。そもそもね、雪子の合図を待たないで、君の前に飛び出してった花村だって悪い!」
「千枝チャン、辛辣クマねー」
「まったくだ、ちっとはおれを労われ!…でもさ、、ほんと気にすんなよ。怪我だって、天城のおかげで治りが早そうだし。それに、次はおれが同じことしちまうかもしんねーしな」
 そんときゃ恨みっこなしだぜ。花村は冗談めかして言った。
 はつられて笑いながら、言いようのない自己嫌悪と、ひどい苛立ちを、必死に押し殺した。
 仲間達の優しさにさえ苛立つ自分が心底嫌だった。




 そんな経緯のなか、ジュネスを出て商店街を歩いていると、ちょうど尚紀が店から顔をだした。
「こんにちは」
 と、会釈して、すぐに顔を曇らせる。よほど自分が不機嫌そうに見えたんだろうなとは思ったが、もう取り繕う気力もなかった。
「あ……」
 尚紀は言葉を詰まらせ、うつむいた。行くか、とがその場を去ろうとしたとき、
「あの、」
と、尚紀が声を上げる。
「……何?」
 声が不機嫌になるのを抑えられない。なんの罪もない尚紀に八つ当たりしてどうする。と、分かってはいるがどうにもできない。
 尚紀はますます萎縮した。おそらくその口から、自分を心配してくれる言葉が出るはずだったのだろうと、予想できた。しかし、今のにとっては、すべてが煩わしく、腹立たしくてたまらない。
 煮え切らない尚紀にむかって、「またな」と、棘だらけの言葉を吐き、は足早にその場を去った。




 堂島は今日も帰ってこなかった。菜々子はの様子に違和感を感じたのか、家事を済ませるとさっさと眠ってしまった。
 ようやく、自室で一人きりになり、は深呼吸すると、震える指で携帯のボタンを押した。発信中、の表示を見ると膝まで震え出す。
 5回程の呼び出しで、画面は通話中に切り替わった。は慌てて携帯電話を耳に押し当てる。
『もしもし…』
 受話器の向こうから、尚紀の掠れた声が聞こえてきた。
「夜遅くにごめん」
『いえ、そんなのぜんぜん。……』
 尚紀の声は優しかった。は息を吐き、「今日はごめんな」と謝った。
『え…』
「夕方、商店街で声かけてくれたのに、おれ、すごく苛々していて…。尚紀に八つ当たりした」
『え、あ、そんな、わざわざ、こっちこそすんません』
 尚紀の慌てた声を聞いて、は苦笑した。尚紀も息だけで小さく笑う。
『あの…そん時聞けなくて、えっと…。さん、すごい疲れてたから…。何かあったのかな、って…』
「うん…」
 何かあったのかといえば、あった。めちゃくちゃあった。尚紀に聞いてもらいたい気がしたが、話せることは少ないし、またあの激情が甦りそうで、結局は押し黙った。
『……あの、』
「うん」
『今から、ちょっと…会いにいっていいっすか』
「えっ?」
 予想していなかった言葉に、思わず聞き返してしまう。尚紀はあわてた声で、
『あ、すんません、てゆうか普通に迷惑ですよね、こんな夜遅くに。家族の人もいるんだし。ほんとすみません、忘れてください』
「いいよ。来て。来て欲しい。」
『え…』
「ありがとう…」
 はそういいながら、深く息を吐いた。尚紀が、急いで行きます、と慌てて通話を切るのを、奇跡のように聞いていた。




 尚紀は数分で訪ねてきた。寝ている菜々子を起こさないように、静かに自室に連れて行く。
「すんません、妹さん寝てるのに…」
「妹じゃないけどね。来てくれて嬉しい」
 がそういうと、尚紀は照れくさそうにうつむいた。
「おれが来たところで、なんも出来ないですけど…。はは、考えなしに、とにかく会いたいと思っちゃっただけで…。」
「うん」
 は笑って頷く。それから、今日テレビの中であったことを、少しずつ思い返した。やはり、陽介を傷つけた時のことを思うと、胸が痛む。自分を責める気持ちと同じくらい、あの不思議な高揚、乱暴な衝動と、それにともなう快楽を、思い出しそうになる。手に残る感触。抗いがたい欲望…。
さん、」
 尚紀が心配そうにこちらを見た。
「なんか…すごく辛そうですけど、…」
 おれになにか出来ることは、と、消え入りそうな声で、尚紀は言った。
 は、うつむく尚紀の首筋を見つめた。白くて細い首。尚紀は全体的に華奢で、少年のような幼い体をしている。こんな状況で、それを意識し出すと、ひどく乱暴な気分になりそうで、は目をそらした。
 尚紀はしばらく黙っていたが、ふと顔を上げ、潤んだ目をに向けた。
「おれ…おれ、いっつも、自分が話してばっか、さんに聞いてもらって、甘えっぱなしで…。さん、さんだって、たまには、あ、甘えてください。おれ…おれなら、なんだって平気です。さんがぶつけてくれるなら、なんだっていいです。受け止められなくても、拒否はしない…なんだっていいんです、さんがおれに向かってぶつけてくれるなら。」
 ひどい殺し文句だった。
 は歯を食いしばり、目を細め、拳を握って尚紀を見た。尚紀は少しもひるまずに、の目を見つめ返した。




 まるで凶暴な獣。いつから、自分の中にこんなものが居たのだろう。
 無理矢理押さえつけたせいか、尚紀の肩は赤くなっていた。白い首すじには、自分の歯型が残っている。
 尚紀は激しく胸を上下させながら、唇を噛み声を堪えていた。たぶん菜々子を起こさないようにとか、を気遣ってそうしているのだろうが、むしろは、尚紀に声を上げさせたくて、もっと荒々しく尚紀を責める。
「っあ、」
 尚紀の喉のおくから、声が漏れる。口が開いたのをいいことに、噛むように口づけて舌を絡ませた。尚紀が熱い呼吸といっしょに、苦しそうな嗚咽をもらす。かまわずに責め続け、体中に手を這わせる。
 ああ、壊してしまう、と、頭の片隅で警告する声が聞こえた。
 壊してしまえ、という声もまた、聞こえた。
 声を振り切るように性急に手を動かすと、尚紀は何度目かの射精をした。涙を流し、赤くなった目で、の手を見つめる。
「また…おればっかり、」
 声も掠れていた。こんなに乱暴に扱っても、尚紀の気持ちは変わらないらしい。どこまでもを労わっている。
 は尚紀の肩に噛み付いた。尚紀は鋭く声を上げる。
「だめだ、ひどく乱暴な気分なんだ、もう、抑えがきかない」
 の声は切羽詰っていた。自分では見えないが、きっと目もぎらぎらと光っていることだろう。そのまなざしを真っ向から見つめ返し、尚紀は言う。
「はい、だいじょうぶ、です、おれは、うれしいです、ほんとうに…。」
 尚紀の優しい手が、の頬に触れた。はそれを引き剥がし、指を口に含んで歯形をつけた。





 知らないうちに眠っていた。
 が目を開けると、部屋は真っ暗だった。遠目に見える時計の表示は午前4時。あのあとどうなったかはっきり思い出せないが、とにかく布団に包まりぐうぐうと寝ていたらしい。毛布の中には、疲れて熟睡している尚紀も居た。
 ああ、ひどいことをした。
 は眠っている尚紀の額にふれ、眉をなでた。まぶたに触れ、頬を伝って唇に指を這わす。優しい言葉をたくさんもらった。たくさん、たくさん…。
 甘えるというのは、こういうことだろうか。は尚紀の手を握り、目を閉じた。自然と涙があふれ、とまらず、ついにはしゃくりあげるほど、泣きに泣いた。
 尚紀はずっととなりで眠っていた。


おしまい

2009年10月12日 保田ゆきの






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