ぼくのいのちを ぼくはみえない……




 荒垣がラウンジで牛丼を食べていると、その横を天田が静かに通り過ぎた。見ると天田は手にコンビニの袋を提げている。それに気づいた荒垣は、つい声をかけた。
「それ、お前の晩飯か?」
 天田はぴたりと足を止め、横目で荒垣を見た。
「ええ」
 そうですよ、といやに丁寧な口調でそう言う。その憎たらしい態度はひとまずわきに置いて、荒垣は食べる手を止めてまっすぐ天田を見た。
「おまえは毎日、そういうメシ食ってんのか」
「そうです」
「……」
 とっさになにも言ってやれなかった。荒垣は言葉に窮して眉根を寄せる。それを見た天田は小さく笑った。
「別に心配なんていりませんから」
 じゃあ、これで。天田はそう言うなり、さっさと階段をのぼっていった。荒垣はそれを見送ったあと、すっきりしない心持ちで残りの牛丼をほおばった。


「天田の晩飯、どうにかなんねーのか」
 その日の夜、荒垣は珍しく真田の部屋に来ていた。そして部屋に入るなり、天田の夕食のことを真田に相談し始めた。どっかりとベッドの上に座り込み、腕を組んで考え込む荒垣に、真田は言った。
「べつに、あいつ自身がいいって言うんならいいんじゃないのか?」
 そうあっさり、きっぱり言い放つ真田をみて荒垣はため息をつく。
「てめえは、そういう肝心なところが抜けてるよな、昔っから」
「……?」
 真田はむっとしたように顔をしかめた。荒垣は少々呆れて首をかく。
「考えてみろ。小学生のガキが、毎日毎日学校が終わるたびコンビニに行っては、ひとりで弁当を選んでるんだぜ。想像したら、なんかさみしーだろーが」
「まあ…確かにな…」
 真田にもようやく意味が通じたようだ。黙り込む真田を見て、荒垣はごろりとベッドに寝そべる。初等科の寮では食事が出たのだろうか。それとも今のように、母親の手料理を思い出しながら、コンビニ弁当をほおばっていたのだろうか。
「……」
 痛みが胸を刺すのを感じて、荒垣は目を細める。すると真田が側にきて、荒垣の手をとり自分の両手で握った。真田の気遣いを感じながら、荒垣は全然別のことを考えた。たとえば天田がつらくてたまらないとき、こうして手をさしのべてくれる存在はいるのか……天田がうれしいとき、しあわせなとき、いっしょに喜んでくれる存在はいるのか……。
「……しゃーねえな」
 荒垣は真田の手を握り返して体を起こした。ベッドから降り、部屋を出て行こうとする。
「どうするんだ?」
「べつに……どうもしねえ」
 荒垣は真田に背を向けたまま静かに言った。真田が、フン、と鼻で笑うのを聞いて、こいつは肝心なところは抜けているが、おれのことはお見通しだな、と思った。そのままドアを閉め、荒垣は自分の部屋に戻った。




「おい、山岸」
 次の日、風花が寮に帰ってきたのを見るなり荒垣は立ち上がり、風花に詰め寄った。
「は、はい?」
 風花の萎縮する目を見て、荒垣は苦笑する。
「べつに、とって食うわけじゃねえ。ひとつ頼みがあんだよ」
 そういって荒垣は風花についてくるよう促し、さっさと台所に入っていく。風花は不思議そうな顔でそれに従った。そして台所に入ったとたん、目を丸くした。
「これ……先輩が作ったんですか!?」
 そこにあったのは立派な「ばんごはん」だった。肉じゃが、サラダ、だし巻き卵、コンロの上の鍋にはわかめと豆腐の味噌汁、炊飯器の中にはほかほかの白ご飯。寮のメンバー全員分の夕食がそこにあった。
「……どうってことねえ。それより、山岸、これをお前が作ったことにしてくれねえか」
「えっ!?」
 風花は大声を上げた。それから困ったように眉根を寄せる。
「そんな……そんなの、絶対にだめです!せっかく先輩がつくってくれたのに……そんなのできません」
「頼む。そうでもしないとあいつは食べねえから、」
「あいつ?」
 風花は耳ざとく聞き返す。荒垣は顔をしかめ、しばらく黙ったが、やがてぽつぽつと天田の夕食について語った。風花は悲しそうに目を細め、それでも納得ができないという顔で、でも、と言った。
「先輩がつくったって言っても、天田君は食べると思いますけど……」
「いや、食べねえだろうな、あいつは」
 荒垣はなぜか確信していた。絶対にそうだと言い切れた。風花はますます困ったような顔をする。
「でも、どうしてわたし……なんですか?」
「最近よく台所にいるだろ。だからおまえが一番自然だと思ったんだよ」
「……」
 風花はうつむいた。そしてぶつぶつと、どうしよう、わたし、でも知ってるのは中山くんだけだし…、などと言った後、ゆっくり顔を上げた。
「でも、天田君のためだもんね……。わかりました、じゃあ、とりあえず今日は、先輩に協力します」
「悪ぃな」
 荒垣はほっとして、小さく笑った。天田はもう帰ってきていて、部屋にいる。あとは部活組が帰ってきたら夕食の時間だ。



 風花の出す料理を見て、一堂は歓声を上げた。
「すっげー!風花、おまえ、マジすごいじゃん!うわー、おれちょっと泣けてきた」
「じ、順平くん、おおげさだよ…、」
「いや。これは十分賞賛に値する料理だ。私も寮では自炊するべきだと思っていたのだが、なかなか時間的な余裕が無くて、先送りになっていた……山岸、恩に着るぞ」
「せ、先輩まで……」
 心底困った様子でおろおろとしている風花を見て、荒垣は申し訳ないやらおかしいやら、複雑な気持ちになった。となりに座っている真田が小さな声で、
「お前が山岸に、夕食を作ってくれって頼んだのか?」
と聞いてきた。おまえやっぱ抜けてんな、と思って苦笑しつつ、荒垣は言う。
「ああ、まあな」
 それを聞いた真田はうれしそうに笑って、それにしてもうまそうだな、と言った。
「夕食ができた、って言われたんですけど……」
 天田がそういいながら、階段を下りてきた。ゆかりが手招きをする。
「天田くん、早くおいでよ!風花の料理、すっごいんだから!」
「風花さんが作ってくれたんですか?」
 天田は少し笑って階段を駆け下り、テーブルを覗き込む。それから、わあ、と声を上げた。
「すごいや。風花さん、いつでもお嫁にいけますね」
「そ、そうかな……」
 苦笑する風花を尻目に、荒垣は天田の言葉を複雑な気持ちで受け止めた。それから全員でいただきますをいって、食べ始める。盛り上がる面々の中、荒垣はこっそりと天田の表情を盗み見た。天田はだし巻き卵をほお張りながら、ゆかりさんも見習わなきゃだめですよ、なんて軽口を叩いていた。
 ああ、よかった、と素直に思った。
 不覚にも、ほんの少し、目の奥が熱くなった。




 それからもたびたび、風花の協力を得て、荒垣は皆の夕食を作った。九月ももう終わるという日に、風花は皿を棚に片付けながらこういった。
「先輩、もう、次に作るときは、先輩が作ってたんだってこと、いいましょうね。きっと天田君だってわかってくれますよ」
「……」
 荒垣は返事をしなかった。淡々と皿を洗った。しかし、内心では、それでもいいかもな、と思っていた。どちらでもいい。天田がちきんとした夕食を食べたということだけが、大切だった。


 その日以降、「風花の」夕食が振る舞われることは、もう二度となかった。


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